海

プロミシング・ヤング・ウーマンの海のレビュー・感想・評価

-
知らない場所の、ショッピングモールくらい広いトイレに入る夢を何年か前から定期的に見ている。どうやらそこは男女共用のトイレで、この映画に出てくるような安全な感じの微塵もしない男性たちがわらわら集まっているエリアと、比較的女性が多いエリアとがあって、私はそっと見つからないように壁際を歩いて女性が多いエリアへ向かう。歩きながら個室を順番に見ていくものの、どの個室も現実には見たことがないほど汚かったり、便器の穴がとんでもなく巨大だったり、そういうあり得ない構図が広がっていて、端から端まで見て回ってもまともな個室というのが存在しない。私は仕方なく1番まともそうな個室を選んで入り、後ろ手に鍵を掛け、だけどそこに座るのが怖くて病気になりそうな気がして死ぬほど不安で、今すぐここから出たいと思いながら、ぽっかり空いている真っ黒い穴を身体中に汗をかきながら見つめ続ける。そういう夢。昨夜も同じ夢を見て、気になってネットで検索してみると、あるサイトに「あなたが性というものに対して良い印象を持っていない」「何かトラウマがあるのかもしれない」と書いてあり、夢占いにどれくらい信憑性があるのかは分からないし、こんなものに解られたくないとも思ったけど、そうですそのとおりなんですと最悪な気分にならずにはいられなかった。この映画を観ている間、ほとんどずっと手と唇の震えが止まらなくて、じっとしているのが苦痛なくらい心臓もうるさくて、思い出しながらこれを書いている今も、言葉を打つ指が震えてiPhoneの画面に指を叩き付けるみたいにしないと誤字まみれになってしまう。まず私がこの映画を観ながら最初に感じていたことが、こういう作品の(こういう作品に出てくるような現実の)男性が女性を気味が悪いほど意識して女が〜女ってのは〜女だから〜って発言したり舐め回すように顔から脚までじろじろ見たりするのと同じくらい、自分の中の""男性""という性に対する頓着も強いのだということだった。本作で良い感じに見えていた男性にもずっと不審感があって、本当に最低だと思うけど患者に手出してるってオチじゃないのとかどうせ事件に関わってるんでしょとかずっと思いながら観ていた。現実にもそうで、少しでも威圧的だったり差別的だったりすることを男性の上司や同僚が言っているのを聞くとそれをその人の性別のせいにしてやっぱりねと思うことが多くある。(全ての人にでは決して無いけれど)全く、ほんとに、最低だってちゃんと分かっているはずなのにそう身構えずにはいられないのは、この人は大丈夫とか性別なんて関係ないとかそんなふうに安心して関わって不意に自分が"女性"って立場として傷つけられたり苛まれたりしたときの失望が怖いからなんだと思う。生まれたときからそういうのを知らなければ、「男性の方が腕力があるので女性に暴力を振るって主従関係作るなんてことが家庭内でも起きます」とか「17歳でも7歳でも男から見れば女なので性的対象です」とか、そういう邪悪を知らずに済む(そもそも存在さえしない)世界に生まれていればどんなに良かったかと思うし、だけど「"加害"に対して"自衛"すべきだ」っていうのが性犯罪やいじめそういった虐待に対して罷り通る社会になって実際に件数が減ったとしても私たちの間にある溝はより深く濃くもう埋めることのできないくらいに深くなってしまうだけのような気もする。(通り魔と痴漢は違うし殺人とレイプは違う、対象の傾向も違えば遭遇する確率さえ違うのだから)私はアイドルが大好きで彼女たちの歌とかダンスとかステージで見せてくれるもの、なによりもその生き様をほとんど信仰に近いかたちで推していて何度も人生救われてきた(だからこそキャシーのニーナを愛してきた想いを聞いたとき涙が止まらなくなった)けれど、だけど自分が好きになるアイドルはどうして女の人ばかりなのかってふと立ち止まり問うときがある、アイドルが好きって気持ちは絶対に本物だけどその裏側で微塵も男性を否定していないとは言い切れないしそこに正当な理由があるとも勿論思っていないから苦しい。私を苦しめているのは自分や自分以外の女性や被害者にあたる人の泣いている姿とか、加害者に対する怒りや憎しみとかだけじゃなくて、自分の中にある生み出さずにはいられなかった差別とか偏見とか、心の中で自衛のために他者に向けているナイフだってそうだ。女であることが女性たちのアイデンティティでは決してないように、男性にもそれに当てはまらない人たちにもそうであれと本当に心から願ってきた。性犯罪とか暴力とかいじめとか、SNSでの中傷やプライベートなデータの拡散とか、それが起こる場面には傷つく人と傷つける人が必ず居て、そしてそれは絶対に1対1ではなくて、当事者でも確認できないほどの大勢対大勢で成り立っていて、人間のほとんど全員がそのどっちかに居るんだと私は思っている。そのことを知っている限り、そのことに近しいことを経験したり聴取している限り、私は関係ないです縁もゆかりもないですなんてことは、絶対にないと自分は思っているし、傷つけているかもしれない・傷つけるかもしれないのならばそうしないために学ぶことの責任があると思っている。彼女もその気だったとか、酔ってたんだから仕方ないとか、ガキだったからとか、人を人だと思わず自分を守るための言葉だけが次から次へと出てくることが怖い、「傷ついたのは誰なのか」考えたらすぐ分かるはずなのに、自分が微塵も傷ついていなくてむしろ喜んでやっていたことは自分で1番よく分かっているはずなのに。他者の心の傷を自分基準で軽く考えて発せられる頓珍漢な言葉や、ジェンダーバイアスの解消すらままならないのに少子高齢化について意味不明な脅し文句連ねる人と感化されて危機感覚えたりホッとしたようにですよね〜って同調してる意味不明な人達、そうやってウイルスみたいに拡まる思考も誰かの尊厳を破壊して笑えてる集団ももういい加減に滅びないといけないし、自分の外側を覆う概念の柵を超越しようともがくあなたの目を絶対に誰も塞ぐな、誰にもそんなことをさせたくない。自分より弱そうに見える者をたかが本能的な欲求や一瞬の快感のために痛めつけること、私にとってそれはこの世に蔓延するどんな悪いことよりも1番最低で最悪で卑劣な許すことのできない行為だ。ニュースでこういう事件を知るたびにもし被害に遭ったのが自分の家族や友人だったらどうやって復讐してやろうかどれくらいの苦痛を与えれば気が済むだろうかと考えたことがない人なんて居るんだろうか、殺してやりたいと思わないことなんてできるんだろうか。私がキャシーの友人だったなら、一緒に戦わせて欲しいと願い出たかもしれないし、それが理想ではあるけれど仕返しが怖くてたまらないから私に関わらないでと突き放したかもしれないし、だけど結末を最初から知ることができるならどんなに危険な目に遭っても一緒に行く方を選んだと思う。この気持ちはキャシーの後悔と似ているのかもしれないとも思う。こんな地獄のような経験とその日から続いている誰かの悪夢から目を逸らし続けて、自分だけ天国に居る振りをして幸せごっこするなんてことだけは絶対に出来ないし、私はそれが誇らしいのかも悲しいのかも分からない。もっと信じられないような残虐な事が現実には起きているし野放しになっている加害者も死ぬまで口を塞がれ続けた被害者も居る中で、この作品はフィクションとして(乖離しないように現実を描き出すための創作という手段として)、これ以上に相応しい結末は無かったのではないかと思うし、それを踏まえると本作がどんなに考え抜かれて完成に至ったのかよく分かって、どうかこの作品が私自身を含めたより多くの人にとっていつまでも忘れがたいものになっていてほしい。
海