恥と外聞

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の恥と外聞のレビュー・感想・評価

3.5
まずもってナレーションが"でっくん"なのがなんとかならないものか。芸能人のプライベートなんかクソの欠片程も気にならないけど如何せん世間がそれを許さなかった。普通に生きてりゃイヤでも耳に入ってくる。キツい。わろてまう。それだけで4つ目の★が半分こ。

いつの時代も講堂の二階席後方列で話を聞くようなやつはザコ、カス、ウスノロ。僕は学生時代散々それをやってボロボロ単位を落とした当事者だからよくわかる。たとえ良い席をとるのが間に合わなかったとしてもそれは要領の悪さだな。

さて、当然ながら、意味論、認識論、記号論、、等々色々読んでおかなければならない分野があって、しかも当時はおそらく、まさに構造主義が発展しつつある時代であり(内田樹や橋爪大三郎にも解説書のような著作がある)、このような議論の積み重ねがとてもリアルに、現在進行系で時代の言論を形成していったのだろうと想像する。

芸術家は理想主義者で全く構わないと僕は思う。

色々勉強したけど最終的には結局芸術にしか救済手段の役割を負わせることができないと、気づいてしまった人が今までにも数多くいて、じゃあそれが正しいのかどうかと問われれば、そんなことは歴史が散々証明し尽くしている。

ここでの「反知性」とはある意味そういうことだと感じた。はたして19世紀型の知性主義、とそれと対になっている島国奴隷根性(欧米の場合はそれが階級意識と呼ばれているのかも知れない)は未だに意気揚々と世を跋扈しているわけであるが。

それでもまだ芸術を「不要不急の贅沢、娯楽の類」と切り捨てて冒涜しようという時代の側面もあるらしい。

まぁ、確かにそれだけでオマンマはいただけないわけだが、壇上の芥正彦も言っていたように、ロクに働かず、なおかつ子供もいて、傍目にはただフラフラしているだけの人間がじゃぁ一体何で食っていけてるかって、見てみんさい、彼は未だに劇場で表現者として立派に一本立ちしてるじゃないかと、そうなるわけだ。

はぁ、でも何?自決はズルいわな。

優しい人間が死ぬまで甘んじて抵抗せず、最後に魅せる輝きが割腹だとでも言うんだろうか。
闘争はするが天皇陛下を前にして権威に刃向かえない?

個人の教養やユーモアとは一線を画す次元の話を割り込ませるのが正しいのかどうか...

これだから三島信者は✗✗✗くてかなわんわ。