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粛清裁判のptitsaのネタバレレビュー・内容・結末

粛清裁判(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

当時のソ連という国家を理解する上で,見逃すことのできない作品だと思います.
何と言っても,何が行われているのか映画を観ているだけでは理解できないという点が,この映画の内容の特徴です.被告たちは何を咎められているのか,そしてなぜ彼らは追及に対して否定をしないのか,そしてなぜこれほど多くの人間が詰め寄せて,有罪判決に対して固執しているのか.あまりに説明が少ないために,こうした背景が一切わからないまま裁判は進んでいきます.この映画はひたすら裁判の内容と被告を批判する群衆の姿を2時間以上映しているものですが,証言の内容ははっきり言って支離滅裂です.ただわかるのは,ソ連という国家,共産主義という考え方に対する敵を決して許さないという決然たる態度だけです.被告の最後の陳述なども,自分の無実をしゃにむに訴えるようなことをする人はおらず,ソ連に対する罪を犯してしまったことを心から後悔し,許されるならば今後はソ連のために自分の命を捧げるということを,本心から述べているように見えます.
検事のクルィレンコの演説などは,本来の意味での裁判に資する情報は全くと言って良いほど含まれていません.それでも力強くソ連を守る必要性を訴える彼の姿は,現代の我々の目にも強い印象を与えます.
全て本当に俳優が演じているようで,実際のフィルムだとは信じられないくらいです.

そして,最後の最後に,この産業党事件自体が全て当局のでっち上げであったことが,さらりと字幕で明かされて映画は幕を下ろします.
実はこの裁判の裁判官や検事だけでなく,被告の方も全て予め決められたシナリオに沿って話していたのです.しかしその中でも6人の被告は陳述において異なる個性を見せています.傲岸不遜なチャルノフスキーなどは,途中で他の被告が陳述でしどろもどろになっているのを見て,笑みさえも浮かべているのです.この裁判自体が,ソ連の政治体制が生み出した大掛かりな演劇だったわけですが,その中にも一種の個性を覆い隠されずに残存していることは,人間の悲哀と救済を同時に示しているように感じました.

観衆に一切迎合する気のない芸術としての映画を撮るというのは,エイゼンシテイン,タルコフスキー,ソクーロフと続く,ロシア映画の伝統ですね.昔と違ってこうした映画は流行らないのかもしれませんが,それでもこういう映画をこれからも観続けていきたいなと思います.
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