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僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46のtetsuのレビュー・感想・評価

5.0
ふとしたきっかけで、興味が湧き、鑑賞。


[あらすじ]

絶対的センター・平手友梨奈さんの電撃的な脱退で話題を呼んだアイドルグループ「欅坂46」
夢や希望を持ち、熱狂的なファンに支持されたグループに、一体、何が起こったのか。
結成から現在にいたるまでの5年間の記録を、メンバーのインタビューとライブ映像の見事な編集を駆使して描いたドキュメンタリー音楽映画。


[感想]

ファンでもなんでもないけれど、予告編に強く惹きつけられるものがあり、気づけば、ネットに挙げられているMVを見漁っていた。

全て観終わった公開の2日前、衝動的に前夜祭のチケットを購入。

結果として、今年のベスト映画であり、
これまで観てきたドキュメンタリー映画の中でもベストの出来だった。

このスコアは、
グループを運営する大人たちに対してではなく、
ストイックにカメラを向け続けた監督を含む製作陣と、
自身の存在意義を問い続けたグループメンバー、
なにより、個人の尊厳と他者への配慮を両立させるため、辛くとも、正しい選択をした平手友梨奈さんへのスコアであることも、ここで明言しておきたい。


[一つのドキュメンタリー映画として]

僕自身、ドキュメンタリー映画では、
3つのポイントが重要になると思っている。

それは、
①対象の魅力
②作り手と対象の距離感
③事実の切り取り方
の3点である。

①は、作品において最も重要となるポイントである。
日本を代表するドキュメンタリー作家・森達也さんは、『A』でオウム真理教の幹部を、
『FAKE』では、ゴーストライター問題で話題になった佐村河内守さんを密着し、その人となりを探ってきた。
これらからもドキュメンタリーの面白さが、対象によって、ほぼほぼ決まることが分かる。

②は「作り手が相手にどこまで踏み込めるか」ともいえる。
‎原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』では、アナーキスト・奥崎謙三さんの過激な行動を近い距離から残しているほか、
東海テレビの『さよならテレビ』では、逆に、作り手である自分たちを取り上げることで、ドキュメンタリーの嘘と真実をエンターテインメント化していた。
距離感によって描ける内容は変わり、それが近いほど、魅力的な作品が生まれる傾向も強い。

③は、事実の切り取り方・演出次第で、ドキュメンタリーはフィクションにもなりえるということである。
かつて、イルカ漁をテーマにした『ザ・コーヴ』という作品があった。
この中では、イルカの出血シーンや地域住民たちの過激な言動があったが、後のNHKによる検証ドキュメンタリーなどで、これらは作り手による過剰な演出だったことが明らかになった。
人は信じたいものを信じる。
ゆえに、ドキュメンタリー映画の演出は、必ずしも事実とは限らない。
曖昧な境界線こそが、ドキュメンタリー映画の本質と言えるのではないか。

では、本作はどうだったのだろう。

他のグループにはない楽曲の魅力、センターの脱退、改名、様々な話題を持つ「欅坂46」というアイドル。

AKB48のドキュメンタリー映画を制作した経験を持ち、一年をかけて密着撮影を行ったという監督。

そして、周囲の人物からしか語られない平手友梨奈さんと、悪意ある演出で切り取られたファンの熱狂と大人たちの期待。

本作には上記3つの要素がそろっており、単なるアイドル映画にとどまらず、ドキュメンタリー映画として完成されている印象を受けた。


[音楽映画として]

前夜祭の舞台挨拶では、監督が「最初はライブシーンのみで構成しようと思っていた」と語っていた。

その言葉通り、本作は音楽映画としても完成されていたように思う。

先日、公開された『3年目のデビュー』(同系列グルーブのドキュメンタリー)と比べれば、その差は歴然で、特に歌唱シーンの配慮には心が震わされた。

『3年目……』では、メンバーのインタビューを中心にした構成により、歌唱シーンは、所々、端折られてしまう。
(また、その音量も、かなり控えめな印象を受けた。)

しかし、本作では、ライブ映像を中心に構成したことで、インタビューで明かされるセンター・平手さんの苦悩や葛藤、メンバーの努力が、直接的に楽曲の歌詞へと反映されていく。

自分自身、欅坂46の楽曲に強く惹きつけられていたのも大きいが、
そうでなくとも、歌詞と経験が結びつき、"魂の叫び"ともいうべき歌声が記録されたライブシーンには、誰もが心を震わされるのではないか。
(映画館だからこそ味わえる迫力ある音響には、監督のこだわりを感じた。)


[アイドルとは何か。]

本作のカメラの視点には、対象への加害性を感じた。

ファンだけでなく、詳しい知識のない一観客の自分でさえ、強い加害者意識を植えつける視点。

メンバーが涙する姿、平手さんが一人孤立している様子、仕掛けられた隠しカメラ映像。
その視点は、暴力的なまでに彼女たちのパーソナルな部分に刃を突きつけていく。

そのため、鑑賞中は、誰もが、かなりの居心地の悪さを感じるだろう。

しかし、それらは「アイドル」に対する普段の私たちの視点と何ら変わりはないのではないか。

バラエティ番組や週刊誌の報道、SNSで拡散される動画配信の映像。

それらに熱狂して、応援する人々や、求めるイメージとのギャップから、誹謗中傷を繰り返す人々。

「アイドル」であるということは、ファンや周囲の人々が求める"理想の姿"、すなわち"偶像"であり続けなければならないことであり、本来の自分を犠牲にしなければならない場合もある。

数十年続いてきたアイドルグルーブが、突然の解散を迎えたり、次第にメンバーが減っていくグルーブが増加するなど、「既存のアイドル像」が崩れつつある"今"だからこそ、本作で描かれた題材には、胸に刺さるものがあった。


[作り手(監督)と受け手(観客)の共犯関係]

本作では、グループの振り付けを担当するTAKAHIROさんが「大人たちに出来ることは見守ること」と語るシーンが印象的であった。

彼は「あなたたちはどう思いますか」と作り手に問いかけ、そのシーンは断ち切られる。

この編集からは、まるで、監督が、同じ質問をファンへも投げかけているように感じた。

結果、作り手は、観客(ファン)に、ある種の共犯関係を促しているようにも受け取れるのだ。

しかし、諸事情で卒業した数人のメンバーや、運営側の幹部についてが描かれていないこと。
そこに、自分は「大人の欺瞞」を感じた。

過酷な真実を描きつつも、あくまでキレイな物語として終わってしまうことで、煙に巻かれる運営側の責任。

さらに、人の痛みをエンターテインメントにすることは、誰かに希望を与える一方で、対象となるアイドルたちやファンを傷つけているのではないかという疑問も浮かぶ。

結果、グループの公式団体が、受け手の"理想"を崩さないよう、ギリギリのラインで作られた本作は、アイドル産業の範疇は抜けていない。

そのため、観賞後も煮えきらない思いは残るが、監督の問いかけには、とても価値があったように思う。

正直、「アイドル」の本質を描くためには、数十年後、グループがなくなったときに、渦中の人物が語る姿を観たいとも思ったが、本作は、現段階で、監督と彼女たちが映し出すことの出来る全てだったようにも思う。


[美化された少女たちの悲劇]

オープニングで衝撃の顛末を提示されるため、それ以降は、ずっと胸が痛くなる悪夢のようなドキュメンタリー。

事実であるがゆえ、控えめにいっても、『リリィ・シュシュのすべて』を超える胸糞の悪さがあり、人によっては、あまりにもショッキングで、目を背けたくなるシーンもあるかもしれない。

しかし、「自由」という責任を背負ってしまった私たちの世代ゆえの「カリスマへの熱狂」が記録され、同時に『「アイドル」とは何か』にも、深く切り込んだ意欲作でもある。

紅白やレコード大賞など、様々な番組に出るごとに「また、アイドルか……」と思っている人や、アイドルに興味がないと思っている人にこそ観てほしい、現代の日本を象徴する作品だと思った。
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