このレビューはネタバレを含みます
彼女はきっと、チタンの星に行けば、痛みのない幸せを見つけられたかもしれない。
きっと「機械」を愛する星の下に産まれた彼女は、真の異種族となる儀式、降霊の呪術としてプレートを埋め込み、本物の異邦人として具体化したのだ。
地球の空気は永遠に肌に馴染まず、彼女から見れば人間とは種の異なる獣だろうか。だから、訳無く殺せる。襲われれば殺り返すのは当たり前だ。
この星の下に生まれたのは、彼女だけではない。スクリーンの向こうの、誰かも同じ痛みを感じ、彼女はその叫びを引き受けている。
消防士もまた、肉体を改造し妄想に囚われた異種族だ。地球の上で、流浪の異種族たちが出会い、燃え殻の半分以下の命を分け合って、許し合いまた命を継ぐ生命の物語だ。
そして、この世界は痛みに引きつり歪んだ命に満ちている。彼らは互いに居場所を分け合い、許し合い、身を寄せ合って生きているのだろう。それは地球の裏側におり、また隣人かも知れない。
彼女は違う星に生まれたかったかも知れない、しかし紛れもなく人間だったと思う。人の多様さはかくも驚くべき凶暴さを内包し、それも形を取らないだけで、そんな人々が大勢いると思えてならない。「人の世」で生きられない人、その象徴が彼女だった。だが彼女が生きることを許さない人の世とは、誰のための世界だろう。
…とはいえここまでの解釈はかなり物語の余白に甘えていて、この映画は脚本編重、そこまで高められているとも言えない演出で観客に甘えていると自分は思う。
異種族の話を描くために、観客に解釈の余地なく伝わる描写をすれば彼女たちの生、魂が俗らしくなる気もするが、そこは知恵で何とかならなかったか…とは思っている。