アー君

アル中女の肖像のアー君のレビュー・感想・評価

アル中女の肖像(1979年製作の映画)
3.8
日本公開が待ち遠しかったウルリケ・オッティンガー「ベルリン三部作」。この代表作を劇場で鑑賞できたのが何よりも嬉しい事である。

連作ではなく、ひとつひとつが独立した映画ではあるが、何らかの繋がりがある筈であり、三本鑑賞後に作家としての意図を考察したレビューをするべきかは迷ったが、自身の体調があまり芳しくないのと、宣伝を交えた総評をまとめて書いたところで、上映期間との兼ね合いもあるので取り止めにした。

先日公開されたファスビンダーを筆頭にニュー・ジャーマン・シネマの再評価は高まっている。私見ではあるが、戦後以降の映画産業はハリウッド市場に毒されており、このような傑作が埋もれがちであるが、これを機会に是非とも観て頂きたい映画である。

ドイツの女性監督として真っ先に思い出すのはナチス時代に活躍したレニ・リーフェンシュタールである。しかし彼女の撮り方は作為的な雄雄しさが強調されおり、語弊はあるかもしれないが、意地の悪い見方からすれば、男の政治に寝かされた運の悪い“名誉男性”という印象がある。

それに引き換えオッティンガーの作品はどうだろうか、戦後の荒廃したベルリンを舞台に原色の艶やかな衣装を纏った女性性を謳歌した出演者達は、女らしさ云々もあるが、後述する文芸作品の引用から、個々に人間らしく悩み生きていくことを訴えており、ある意味で全体主義的な「意思の勝利」の裏返しともいえるのではないだろうか。

パンクの母であるニナ・ハーゲンのオペラを取り入れた歌唱力の強さには圧倒され、赤いカーテンと小人のシーンはリンチの「ツインピークス」を彷彿させたが、オリジナルの元ネタを知っただけでも収穫である。

「生きるべきか死すべきか、それが問題だ。」シェイクスピア「ハムレット」からの引用は「気狂いピエロ」のボードレールのようにヌーヴェル・ヴァーグからの影響は少なからずあるだろう。大戦中の戦死における自然死がなくなったところで、戦後のドイツ女性が社会的に解放されたのかは疑問である。この酩酊した女性は死の不安や迷いを象徴させており、不条理なストーリー展開も暗に示している。

デザインの観点として気になったのは、オープニングクレジットの書体にHELVETICA(ヘルベチカ)が使用されていた事。ドイツの書体といえばFraktur(フラクトゥール)というヒゲ文字という(セリフにクセのある形状)イメージあるが、ヘルベチカは装飾性を排除して、可読性を重視したサン・セリフ書体である。あるシーンの新聞でもこのようなゴシック体を使っていたが、時代の変化もあるだろうが、この書体のルーツはスイスであり、彼女の出身地であるコンスタンツは目と鼻の先である。地域的には首都から距離感があり、どこかしら異邦人のような視点でベルリンを異国情緒漂う雰囲気で描いた気もするが。

〈ウルリケ・オッティンガー ベルリン三部作〉
[ユーロスペース 14:10〜]
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