あやさん

ノマドランドのあやさんのネタバレレビュー・内容・結末

ノマドランド(2020年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

人生は回り続ける。
アメリカという広大な限りある大地をぐるぐると走り回り、その土地固有の大自然に囚われて。

デイブが息子とピアノの連弾をしているシーンでぐらぐら泣いちゃった。
メロディの呼応。「being a dad」のやり方を忘れたとこぼした父と、その子のただ、対話。美しいシーンだった。ほんとうに。

ファーンを、「無表情な白人女性」だと思った。しかし観ているとそうではなくて、1人でいるときには人ってべつにわざわざ表情をつくったりしない。facial expression、顔の表情というのは「感情を(相手に)表す」手段のうちのひとつでもあって、コミュニケーションが前提だ。

ノマド的な生き方はアメリカ人のあるべき姿なのよきっとと理解を示すファーンの姉。
北アメリカの大地には、そうだ白人の故郷はない。寂しい、日本人の私には考えつかない寂しさだ。
肉体労働で明日を進むガソリン代を稼ぎ、とにかく進むファーン。スペアのタイヤも持たずに、明日どうなるかわからないのに。
デイブの家族が行っている暮らしだって多分にアメリカ的に私には見えた。動物を育て、子どもと老人が同時に食卓につき、記念の日には鳥をつぶして大地に感謝を捧げる。ヴァンで駆け回りエンジンをふかして毛布にうずまりフライドチキンを頬張る生活よりもいくぶん自然に近いと思う。
彼女には留まりうる場所がある。あるけど本当には彼女に留まることなんてできない。きっとエンパイア以外に彼女の場所はない。
失ったものが穿った穴を風化させたままになんてできるわけがなくてぐるぐる同じところを回っているだけなのかもしれなくても進む。アクセルを踏んで自分の車を運転する。

若者の漠然とした手に負えなさとはもう違う、老人たちの放浪。
スワンキーは物を手放し肉体の死へ向かう、一方ファーンは割れたお皿をボンドで直す。大事なコップを割ったときの気持ちを私は思い出した、あの、取り返しのつかなさはほとんど死だ。
しかしそれは物質世界に拘泥しているに過ぎない(若い私には理解できても行使はできない考え方やけど)。

ファーンは夫と過ごした日々の象徴、匂いさえ残る衣類たちを最後手放した。
そうしてエンパイアに戻った。現実に、あの特別な社宅ががらんどうになって、職場に埃が積もっていても、「覚えている記憶こそが生き続ける」。物や場所にこだわることからの救済が彼女に訪れた。
それでも生きていればなにかを食べなくてはいけないし糞尿は排出される。オンラインで繋がっていたって身体で会って目を見て話さないと本当には会えない。
若者には人生って一本の線に感じられる。けど、その線の端が見え始める老人には、また違うものが見えるんだろう。その先に繋がるなにかが。結婚をしたり人と強く結びついたりすると、人生って終わらずにぐるぐる廻るのかもしれない。

季節や時節を大事にする、チャーミングな彼女をわりと好きだ。
"See you down the road." どこへでも繋がる道の向こうからいつかあなたが手を振る。
さよならって言葉は私も嫌い。
あやさん

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