keith中村

AWAKEのkeith中村のレビュー・感想・評価

AWAKE(2019年製作の映画)
5.0
 私は本作を、ミルトンの「失楽園」のアップデート版だと思った。
 「失楽園」は神に叛逆したことによって楽園を追われ、地獄に堕とされたルシファー(=サタン)が、イヴを誘惑して智慧の実を食べさせる。すなわち、神の創造物たる人間が神を背くように仕向けることによって、神に対して復讐を成し遂げようとする物語だ。
 
 本作は、「将棋会館」という「楽園」を追われた清田(=堕天使)が、人間の創造物たる(すなわち人間の下位に従属する)コンピュータを使って、楽園に戦いを挑む物語なので、「失楽園」とのまあまあな相似形だと感じたのです。
 もっとも、本作の清田は追われたわけではなく、才能の限界を感じて自ら去るわけで、あとは「AWAKE」自体は清田の創造物なので、清田自身が神と等しい「創造主」であることが、「失楽園」とちょっと違うのだけれど、「アップデート版」と書いたのはそういうこと。
 
 「失楽園」は旧約聖書をベースにしているので、「神の創造物であるアダムとイヴが楽園を去った」という規定路線は変更できなかったわけだけれど、もしミルトンがもっとキリスト教的思考から想像力を解放して、「ルシファーが自分の創造物である人間を楽園に送り込んで、神に復讐しようとする物語」を書いていたら、まさに本作のプロットになってたんだろうなってな感じ。
 「万物の創造主は神のみ」という一神教の思想では、それはあり得ないんだけれど。
 その意味では、「失楽園」を下敷きにした創作物はこれまでかなりの数が作られてきたわけだけれど、本作は「失楽園」から約350年にして初めて作られた「失楽園 Ver.2」だと思ったのですよ。
 
 シンギュラリティなんて言葉が人口に膾炙してから、もうかなりな時間が経ったわけだけれど、コンピュータがまずは人間の職業、さらには存在意義そのものを脅かすようになるだろうというペシミスティックな予測は、もはやSFの中だけの絵空事ではない。現実においてはまさに本作に描かれたチェスや将棋のような領域からそれは始まり、やがてはあらゆる分野を浸蝕していくんだろう。これは恐怖ではあるんだけれど、本作を観ているとそれと同時に科学的昂奮も感じ続けていました。
 
 本作では、劇中で勝利するのは人間ではあるんだけれど、その勝ち方が「ほとんどバグのようなもの」を突くことでしか達成されなかったこと、そして「浅川は果たしてチートしたのか(事前に欠陥を知っていたのか)、してないのか(自分で発見したのか)」が明示されていないという点にも、作劇的な昂奮と、現実に置換した場合の恐怖を同時に感じました。
 
 そして本作は、「一流プレイヤーが必ずしも一流コーチになれない」というテーマを反転させた「一流でなかったプレイヤーでも一流コーチになれる」という、これまた現実に往々にして存在する事実を、「人対人」ではなく「人対機械」という関係性で見せるところも良かった。
 その意味では、「リアル・スティール」もちょっとだけ想起した。
 
 と、まあとても楽しみながら鑑賞したんだけれど、物語自体はどんどんダークになっていくんですよ。
 これ、どうやって終わるんだ? と心配してたら、素晴らしいエンディングを迎えましたね。
 
 空港の待合室での、「清田・浅川の弟→将棋盤←浅川」の構図。
 これが、決戦での「清田・DENSOの電王手くん→将棋盤←浅川」にきっちり重なるんですわ。
 しかもこの「画」が、ずっと「対立」だった関係性を「協調」へ変化させる。
 
 アメリカには「クイーンズ・ギャンビット」があるけれど、日本には「AWAKE」があるんだぞ! と誇りにしてよい傑作だと思います。