Oto

フィールズ・グッド・マンのOtoのレビュー・感想・評価

フィールズ・グッド・マン(2020年製作の映画)
3.7
「自分の描いたキャラクターがネットでヘイトのシンボルとして使われるようになってしまった漫画家」の物語。試写にて。

事実は小説よりも奇なりとはまさにこのことで、この物語をフィクションで書ける脚本家はいないだろう。ドキュメンタリーって観る機会は少ないけれど、信じられないことが信じられる形で提供されていて、フィクションもノンフィクションもこうあるべきだと感じる。

日本でも「幸せならOKです」の画像とかよく見るけどあれみたいなものなんだろう。ガースーとかN国とかがネット民の好物にされているのをみると、政治にまで影響を与えるというのも対岸の火事とは思えなかった。面白がって静観していると、気がついたときには手がつけられなくなっているというのは、オウム真理教の件でも聞いたことがある。

しかもそのシンボルが、カエルという簡単に描きやすくて加工しやすい「ミーム」であったとしたら、こうなるのも納得だし、ぺぺのように楽観的なマットを観ているとなんら不思議はなかった。「シンボル」であるのでそいつがいくら叩かれていても炎上していても自分ごと化しなくて済むという危険性を孕んでいる。

「オタク(4ch)」と「リア充(ノーミー)」の戦いがまずは発端だと思うけれど、なるほど戦争というのはこうして起こるのか...という怖さがあった。攻撃することされることに対して互いが快感を覚え、限度がなくなっていく。

そこにトランプやジョーンズというフィクションでもなかなか見ないくらいの悪役が登場して、戦いを煽っていくからもう際限がない。ぺぺがトランプになったのか、トランプがぺぺになったのか、それはわからないけど、会場で「ぺぺ!」と叫んだ瞬間が世界が暗転するミッドポイントに見えた。

すべてが戦いに変わって、「移民はインチキをして地位を手に入れている」とか「ヒラリーは病気にかかればいい」みたいなとんでもない思想が自然発生的に生まれてくるのはホラーすぎたし、ペペキャッシュもこの世のものと思えないような現象だ。

そりゃ「表現の自由」は認められるべきで、好きなものを描ける世界であるべきだし、作品は作者の手から離れていくものだと思っているけれど、この映画を観て『ぺぺを救え』や『ぺぺの葬式』がいかに無力であるかを見てしまうと、「作者の意図とは違う用途をされているから関係ありません」という態度はなかなか取れないな...という教訓を得た。「故意の無知は罪だ」と誰かが言ってた。

雑誌や広告やテレビって言わばミームを作る仕事(壁ドン、美魔女、今でしょ...)なので、自分の意図と反してヘイトのシンボルになってしまうということはいくらでもありえる話だと思う。

未来は3Dアイコンがミームになるんだろうか、気分によって横顔だったりするんだろうかとか、アイコンにも動きをつけるようになるんだろうか、マイペースな人はのろのろ動くもの選ぶんだろうかとか。

※アトロクリクエスト読まれた〜!
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