Oto

キャラクターのOtoのレビュー・感想・評価

キャラクター(2021年製作の映画)
4.1
抜け目ない、かつ遊びのある、良質なエンタメ映画。

観終えた印象としては、フェリーニ『8 1/2』×黒沢清『CURE』。理解不能な連続殺人犯の悪と交流するうちに、創作と現実の境界が曖昧になっていく。

「売れない作家モノ」という好きな題材に加えて、「絵は上手いのにいい人すぎてリアルな悪役キャラが描けないサスペンス漫画家」という主人公設定が秀逸。

そんな彼に、殺人現場を目撃するというきっかけが訪れたときに、黙って漫画の元ネタにするか、あるいは良心に従って証言するか、というとてもユニークな葛藤が生まれていた。

この序盤の描き方も過不足なく、「漫画家を諦める日にスケッチを頼まれる→大音量でBGMがかかっていることを隣人に怒られる→漫画家に迷惑をかけられないので中に入る」、という自然な流れを性格も意識して作っている。

非常に素晴らしかったのは、売れるまでの時間の省略。殺人者目線のシーンで「一般の子供が漫画を読んでいる」という描写で、無駄な説明をせずに主人公が売れたことを伝えていた。同じ編集者が出てきたり、住環境の変化だけでたしかに言わなくてもわかるよね。

そこに、小栗旬と中村獅童が登場。サブプロット的に刑事バディがスタートして、主人公の嘘が暴かれるかというサスペンスを楽しんでいく。凸凹コンビに捜索させることで、会話から自然に状況を伝える。

さらには、漫画と現実との順序が逆転して、両者が交錯していく。この展開は、第一発見者である主人公の疑いを強めるものとしても決定的なのがすごい。

ビリーワイルダーが「主人公を最も過酷な状況に追い込め」と言っていたのがすごく実感できて、刑事の名刺をもらったり妊娠発覚という最悪のタイミングでフカセが会いに来るし、安全圏に主人公を置かないのは本当に大事だと教わった。

この一年で漫画消費がめちゃ増えてると聞いたけど、本屋のPOPとか具体的な金額の話が出てくることで、鬼滅や呪術並みのヒット漫画なんだろうなというのがわかるし、漫画に関する映画という魅力から足を運ぶ人もいると思うので、いい企画だなぁと思う。

悪役は社会の破綻を背負った存在であり、4人家族を幸せの単位として無理やりに引き離したり合体させるというトラウマが事件を産んでしまったことや、それが彼だけの問題ではなく幸せそうに見える主人公にも当てはまる普遍的な問題として描いていたのが良い。お互いが鏡像になっていて、英雄も悪人も普通の人間である。

擬似家族作品ってすごく増えているけど、貧困の時代、社会的弱者が必要なサポートを受けられないことを、エンタメに昇華しながらもシリアスに描き切る手腕が素晴らしい。

こんなシリアルキラーが身近にいるわけではないので、この映画自体がメタに劇中の漫画「34」と同じポジションにあって、共感やリアルを求めすぎる世の中への皮肉、犯罪すらもコンテンツ化してしまうことへの警鐘も込められていることに気づいて、背筋が凍った。

家族が危険に晒されるミッドポイントで意外と早く、主人公が罪を告白してしまう。この展開の速さも魅力で、罪を隠し切れるかというミッションに終始せず、どうやって殺人犯との関係を断ち切って家族の安全を守るかというミッションへと移り変わる。

その過程でも、序盤で誤認逮捕をした男が衝撃の登場をしたり、飲み屋での落書きがヒントになったり、何気なく眺めていた写真にヒントがあったり、お腹の中の子供の性別だったり、母親が敬語で話していたり、ランチを外から覗く視点だったり、伏線回収をしてドラマを加速させる。ここから学んだのは「クライマックス付近で新しい要素を加えない。既に描いたモチーフを使って収拾をつける」ということ。

失敗できないこの大作でfukaseを起用する勇気がすごいと思うけど、めちゃくちゃハマり役だったと思う。そう言われてみれば歌っているときにもどこか不気味さはあるし、裁判での佇まいとか素晴らしい。

クライマックスの直接対決でのあの発砲が必要だったのかを考えてしまうけど、主人公が加害に快楽を感じ始めたことへの罰だと捉えると納得がいく。一家の主人や刑事の友人としての復讐であるにしても、あれ以上は要らないと言われればたしかにそう。

そして、重なり合う二人のショットの美しさ。現実で殺しを重ねた男と、創作で殺しを重ねた男。二人ともそれを楽しんでいたとして、両者の違いはなんなのか。

脚本術で「セリフを感染させろ」というものを聞いたけど、「共同制作だ、ストーリーは守ってもらうよ」という側の人間が反転するところが醍醐味。「アシスタント」の辺見はダガーにキャラを奪われ、ダガーは山城にキャラを奪われ、山城は…と連鎖が起きていく。

ファーストカットの窓の家に戻ってくる原点回帰の物語にも思えるけど、成功と引き換えに失ってしまったものもあるように思う。刑事たちも含めて次作を楽しみにしているファンはついたけど、満足に活動できる手足は戻るか怪しいし…。

不穏なラストカットの後を想像すると、大切な家族をもし失ったとして、その先にまた創作の題材を手に入れる可能性も高まるわけで、いやー…幸せってなんなんだろう、創作ってなんのためにやるんだろうって思ってしまった。

彼が家族を壊された恨みでダガーになる分岐もあれば、清田のように悪を内に抱えながらも善のために行動する分岐もある。

尊敬しているホラー作家の講師もどこか浮世離れした暮らしをしていて日常があまり想像できなかったけど、「特殊な体験をしていない人が、特殊な物語を作ることは可能なのか?」という命題にはすごく興味が出た。

売れていた時期の主人公は人格が変わってしまったかのように見えたし、上の問いは「人は複数のものを同時に愛せるのか」というものにも置き換えられるのかもしれない。

作者がキャラクターを描くのか、作者がキャラクターに描かれるのか。そう考えると、自分の中に眠っている悪人を引き出す行為がホラー作家のやっていることなのかもしれない。芸術とは模倣と言うし、本作でも模倣犯問題は大きな道徳的トピックだけど、自分の中にいる他者を探して、誰かを想像することが、善のスタートなんだと信じたい。
Oto

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