あーさん

カビリアの夜のあーさんのネタバレレビュー・内容・結末

カビリアの夜(1957年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

映画で巡る世界紀行〜⑦イタリア編

魂を撃ち抜かれた。。
やはりこれは何と言っても娼婦カビリア役ジュリエッタ・マシーナありきの作品。
見ようによっては少女にも中年のおばさんにも見える小柄な彼女が、体格の良い俳優達に混じってハツラツと動きクルクルと表情を変え、歓びも哀しみも引っくるめてこれが人生なんだ!とばかりに訴えかけて来る様はとても愛らしくて観ている間中ずっと釘付けになる。。
実に様々な角度から手を替え品を替え人生なるものを魅せてくれるフェリーニ監督に、思わず ”参りました!”と言いたくなった。


初っ端、モノクロの画面の無駄のなさからしてフェリーニ節を感じる。
ジョルジュとのシークエンス。
がらっぱちだけど何かを信じたい、いつかこんな生活を抜け出したい、と思っている幸薄いカビリアの境遇が自ずとわかる。
アハハ、ウフフの笑顔からどん底に突き落とされる成り行きは、観ていて辛い。
唯一夢のような人気俳優アルベルト・ラツァリ(アメデオ・ナザーリ)とのシークエンスも、最後にはなかったことになってしまうのが切ない。
極め付けはオスカー・ドノフリオ(フランソワ・ペリエ)とのシークエンス。慎重に信頼を重ねたはずの相手のまさかの裏切り。またしてもカビリアが純粋過ぎたのか、バカだったのか…言葉もない。
最後の緊迫した2人の顔はカビリアもオスカーも生きるか死ぬか、食うか食われるかのギリギリの表情であり、その迫真の演技は美しい景色と共に観る者の脳裏に焼きつく。

ピカデリーでのオリエンタルなショー、アルベルトの大豪邸、神の愛の巡礼集会、地面の穴に住む人々に施しをする男、催眠術のショーなど同じ時代の出来事と思えない。娼婦という職業の女性が垣間見る世界の振り幅の大きさを改めて知る。

フランチェスコ修道院の修道士ジョバンニ(アルド・シルヴァーニ)とのやりとり、同業の友人ワンダ(フランカ・マルツィ)に結婚の報告をするカビリアの嬉しそうな顔、、

嗚呼、幸福と不幸の間を短い間に行ったり来たり…心が折れそうになる。

これからもまた、同じことが繰り返されるのだろうか。


”聖母マリアは何をくれた?”
”何も変わらない。”
”マリアをやっつけてやる!”
なんてセリフが出てしまうほど
人生のほろ苦さを通り越してあまりにもビター過ぎる、やるせないカビリアの人生。

しかし、、
決して決して哀しいだけではなかったはず。
どうか、カビリア…胸を張って強く生きて行ってほしい!
終わったことよりこれからのことに目を向けて、、
生きてさえいれば、この先良いことがあるかもしれない…
そんな祈りにも似た言葉を思い浮かべた。

そして、ラストシーンのカビリアは、本当に魂の救済というにふさわしい表情をしていたように私には思えた。


ニーノ・ロータの心に染み入る音楽が忘れられない。




MEMO

1954年「道」でネオレアリスモに決別。一躍名声を得るが、翌年1955年「崖」の興行失敗で今作の出資者探しに難航したという。(特典映像より)

しかし、フェリーニ3部作のラストを飾る今作が当たり、1957年第30回アカデミー賞外国語映画賞を受賞、ジュリエッタ・マシーナは第10回カンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞している。

今作をリメイクしたシャーリー・マクレーン主演の「スイート・チャリティ」も評判が良いようなので観てみたい。
あーさん

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