SAKUMATHENERD

ボーはおそれているのSAKUMATHENERDのネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

『ヘレディタリー/継承』で喰らってから
心酔しておりますアリ・アスター監督の新作ということで、張り切って観て参りました。

2回鑑賞し、
正直1回目鑑賞後は
「なんだこれ????」
呆気にとられましたが、
格インタビューを拝聴、パンフレットを解読した上で、2回目鑑賞の後に輪郭を捉えるに至りました。

かなり好き勝手にやりたいことをつめこんだめちゃくちゃ変な映画ではありますが、
美術、配置、音楽に至るまでディティール全てに意味が込められている緻密な構築は監督の過去作と変わりありません。
主題にあるのも、
「逃れられない家族関係」と過去作に通じていて、
今作では「母からの支配に恐れながらもそこから抜け出せない息子との共依存」にスポットを当てています。支配の恐怖は去ることながらそこから1人立つする不安まで描く抜かりなさ、プラス
支配者からの強い主張がはっきりと描かれている所に過去作と比べて一つもう一つ違う角度からのレイヤーを重ねられていることから長編3作目にして集大成的な印象をうけました。
実際に『ヘレディタリー/継承』から続く長編3作は3部作的な所が大いにあるということを監督自身が公言されているように、「家族の呪い3部作」(勝手に命名)締めにあたるところは往々にしてあるでしょう。
基本的に主人公ボーの主観から、何が現実か判断がつかない悪夢的な帰省に飲み込まれながらも
その可笑しさに終始笑わせて貰いました。

父の命日に母の元へ帰省する事が物語の幹としてあります。おおまかに4パートに分かれており、
それぞれで異なるジャンルを裏切りながら、各パート終わりに毎度ボーが意識を失わさせられ次の章へ誘われるように話が展開していきます。

1章目では、
生活の些細な不安をギガ化したような
廃坑し混沌としたブロックの一角でのボーのアパート暮らしをブラックコメディとして描いています。ボーと同じく心配性人間として、共感すると同時にここで1番笑いました。
次から次へと抱えていた問題を掻き消すほどに
深刻度が増していく新たな問題に苛まれていくボーは不憫だが同時に可笑しい絶妙なバランスのユーモアはアリ・アスター監督ならでは。
特に意識を失う手前のホアキンの裸一貫ドタバタ劇はテンポの良さもあり、思わず声を上げて笑いました。

2章目では、
監督が『ミザリー』をインスピレーション元として公言しているように、
医者とその家族に看病されながらそこから出して貰えない恐怖を描いています。
舞台は打って変わって医者ロジャーの娘トニーの部屋から来るパステルカラーが印象的。
ちょくちょく、ひょっこっとジーバス(戦場でPTSDを患い同じく患者としてかくまわれている)が画面の端からボーをみているがシュールでじわります。この用法は過去作でJホラー的に活用されていた「実は何かが潜んでいる」恐怖演出として用いていたもので、文脈を変えシュールなコメディ演出として用いることが出来るのは
監督の独特のユーモアセンスから来るものかと思います。喜劇と悲劇は表裏一体とはまさにこのことかと

まずいものをトニー吸い込まされ、トリップし初恋の少女エイレンとの出会いの記憶へと遡りますがここの随所で不穏だが、甘酸っぱい感じ
が良いですね。最後にわかるボーの畏怖の根源への伏線にもなっています。

3章目にて、
森での移動演劇集団と出くわし、
ボーはそこでの演劇を鑑賞しながら
「もし自分が自立していたらというマルチバース」を重ね合わせます。
ここでの物語が監督・ホアキンのルーツともされるユダヤ的な離散にも通ずるものがあり、別テーマも垣間見えます。
『オオカミの家』クリストバル・レオンとクリトーバル・レオンのアニメーション・美術も相まって、まさに夢的なヴィジュアルで構築された世界観も抜かりないです。ちなみに回転するセットの木々は歌舞伎から着想を得たそうです。
演劇に没頭するボーですが最後には
「そう言えば、俺童貞だったわ...これ俺の話じゃねぇ」
といった絶妙な表情で演劇から現実へフェードアウトする場面はめちゃシュールです

4章目にて
ようやく実家へ辿り着きます。
ここでの約束の人エイレンとの童貞喪失から
のエイレンの怪死の流れがめちゃくちゃ怖くてここだけ『ヘレディタリー/継承』味を感じました。やっぱり天井になんかいるし!
死ぬのはエイレンの方というのも伏線から展開の裏切りを見せて来ます。

そして、家族まるごと滅びがちなアリ・アスター作品のプロットの裏切りという所で実は生きていた母とここで体面し、
『トゥルー・マンショー』やフィンチャーの『ゲーム』よろしく、ボーは自分の人生は母に全て監視・コントロールされていたことを告げられます。
生まれた時から仕組まれていた人生!!
初っ端の母のMWの企業ロゴからわかるように
映画自体が母によって編集されている、
まさにアリ・アスター監督の繰り返し描いている逃れられないカルマ的な人生論が今作でも引き続き浮かびあがります。

あの屋根裏部屋の男根怪物も分裂した別人格も
母の抑圧により彼が失い
取り戻すことを恐れている主体性や男性性のメタファーかと、

今作が過去作から明らかに進んでいるのはラストの公然の面前で行われる断罪シーン。
母のボーからの愛を得られない故の歪んだ主張を前に、反射的に手を出してしまったボーは遂に支配からの解放に向かうと思いきや...
ボートは海上で故障し、観衆が囲むスタジアムの真ん中で今まで母を苦しめて来た
行いを告発されボーは裁かれます。

過去2作では破滅がある種の解放へと通じる他では得難いアンビバレントなカタルシスをドヤ顔で投じていた所を、
最後の最後でも裏切りがはいり、
「お母さん!今まで、好き勝手家族は呪い!
人生詰んでます!だとか言ってごめんなさい!死んで詫びます!」と
言わんばかりに自滅し羊水に溺れていくボーを目の当たりにし、
「アリ・アスター監督は大人になったんだなぁ」と勝手に重ねてしまいました。
エンド・クレジットでお母様へ捧ぐとある様に
これは監督自身の一種の贖罪の旅だったのではないかと推察します。

私事ではありますが、既に自立こそはしているものの母との関係に拗れがあるのは否めません。そんな中で、繰り返し描かれる家族のテーマが琴線に触れるどころか、パーソナルに感じられ『ヘレディタリー/継承』から監督の虜になりました。
冒頭のカウンセリングで「母を殺したい気持ち、そんなことはとんでもないと思う気持ちが両立するのは不思議なことではない」といった意味合いのセラピストのセリフは、正直私にとっても救いの様なところがありました。
支配から逃れたいと思いながら、同時に羊水に浸り庇護されていたいという相反する感情
そして、感謝がありながらどこかで恨みを抱えている感情
これらが同居する状態
は割と普遍的なものなのかもしれません...
まだまだ、時間はかかるかもしれませんが
私も生きているうちに「死んで詫びます!」と思えるくらい
せめて心から感謝できるぐらいには精進したいと思います。

監督にはそんな意図がなく
まるで的外れな邪推でしたら大変恥ずかしいですが🫣

長くなりましたが、非常に興味深く且つテーマ的にも身につまされる所もあり大事な作品の一つとなりました。
もうちょっと精神的に成長した時に再び挑みたいと思います。
SAKUMATHENERD

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