砂場

ボーはおそれているの砂場のレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.4
「ヘレディタリー」「ミッドサマー」と立て続けに良作を撮ってきたアリ・アスター監督。本作「ボーはおそれている」ではグッと内面寄りの作風にシフトしたように思う、それは主人公の内面でもありアリ・アスター本人のことかもしれない。

本作は主人公のボーが精神科医のカウンセリングを受ける場面から始まる。住んでいるのはヤク中が徘徊するような街にあるボロアパート。家に帰ると奇妙なことが次々に起きる。離れて暮らす母の死が伝えられる、幻覚か現実か曖昧な出来事にパニックになったボー、通りに飛び出し車に轢かれる、、、

閉塞感のあるボロアパートでの奇妙な出来事、虫、首無し死体などからコーエン兄弟の「バートンフィンク」を思い出した。テーマそのものもユダヤ/キリスト教について向き合う部分が似ている。コーエン兄弟の方が露骨にユダヤ的メタファーを散りばめてくるが「ボー」の方はそこまででもないものの宗教的なイメージは結構出てくる。

アリ・アスター監督も両親はユダヤ系だ。アリ・アスター監督はコーエン兄弟に比べてあんまりをユダヤ/キリスト教を全面に出さないイメージがあった。「ヘレディタリー」「ミッドサマー」は原始的な異教のイメージだし。ところが本作「ボー」ではマリア像、イエスの言葉、告白など結構出してくる。ここは正直無宗教の日本人の僕には分かりにくい。

一方で支配的な親との関係性はわかりやすい。うちは幸いにしてそんなことはなかったけども知人の話とかニュースで聞くが過度に支配的な親というのはいる。ボーは母に支配され、父の存在を消されアイデンティティ形成がうまくできぬまま大人になった。母は事業で成功するが人生の目的は息子のボーを支配すること、そのためには手段を選ばない。ボーは反抗するもののすぐに母に許しを乞い、結局は”子宮”に帰ってゆく。このテーマは家族の問題なので宗教的なテーマに比べてわかりやすい。

ただ、アリ・アスター監督はユダヤ/キリスト教についてそこから逃れられなさを家族の問題に重ねているような気がする。僕は不勉強でアリ・アスター監督がユダヤ教徒なのかカトリックかプロテスタントか無宗教か知らないけども、母からの呪縛と宗教からの呪縛は同じように捉えているのかも知れない。無宗教日本人の僕は宗教の方は自分のアイデンティティー形成にはなんも影響していないと思う。ただ日本という場から抜け出るのは容易ではないことはわかる。たとえば若い頃、上司が残っていると帰りにくいので無理やり残業するとか、日本的な磁場から抜け出るのは容易ではない。ブルデューの言うハビトゥスのようなものだ

ボーは終始情けない、いい歳なのにメソメソビクビクしていてパニックを起こしては事態を悪化させる。観ていてイライラするほどでもよく考えてみると自分たちだって、宗教、日本的磁場、親の影響まあなんでもいいけども自分が存在している基盤のようなものからそんなに自由だろうか、、、実は我々自身がボーと大差ないのではないか
戦争について本作はちょっと触れている。元陸軍の英雄が出てくるが彼は戦争のPTSDで病んでおりマシンガンを無差別に乱射する。我々観客は彼を病んだ人であり、犯罪者であるように見るがじゃあガザ地区で行われている空爆はなんなのだろうか。ヒトは戦争から自由に抜け出せるのだろうか

本作は長い、その長さがあまり評判が良くないように思う。自分も正直長いなと思ってしまった。途中一回トイレに行ったし。ただこの映画のテーマである、”抜け出せないこと”を体感させるには必要な長さだったのかも知れない。もし本作が1時間半だったら抜け出せない感じは薄まるだろう。ヒトは親の支配、宗教や文化的基盤、戦争などからは抜け出すことはできない、それを体感させると考えれば3時間の苦行なんてむしろ短いとも言える

ではこの世に救いはないのだろうか、宗教が救いではないとしたら、、、カウンセリグ=科学が救いではないとしたら、、、そして親の愛が救いではないとしたら、、、そう考えると暗い気分になる。ただ救いがあるはずと思い込んでいるよりは事実を直視する方がマシである。ボーはあまりにも哀れで情けなく弱い、しかし人間なんてそんなもんだしそれを体を張って伝えてくれるという意味では我らのヒーローなのかも知れない
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