むぎちゃ

ボーはおそれているのむぎちゃのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.5
恐れるべきはアリアスターの頭の中🧠


心底訳が分からなかったが、何故かめちゃくちゃテンション上がって終始楽しめた。
多分体調とか気温とか湿度とか気圧とか惑星直列とか、全てが奇跡的に良かったからだと思うけど。


近年の作品で言うと「アンダーザシルバーレイク」のような虚構と現実が綯い交ぜ、尚且つそれらの境界線の判断をさせない作風に終始翻弄された。

この二作品に共通しているカオスの根源は、「地の道が何処にあるかを観客に把握させない」ところにある。
例えば「ミッドサマー」では若者たちが田舎の奇祭に遭遇し巻き込まれるというどっしりとした一本のレールの上に様々な混沌がのしかかっている。一見複雑難解のようだが、メインストーリーの起承転結は充分に理解出来る。

ところが本作はそうはいかない。
この物語の地の道がウヤムヤだからだ。
ボーに起こる起承転結が上手く把握出来ない⋯いや、明らかに把握されないように意図的に作られている。
どこが現実でどこが虚構なのかを様々なパターンで考えても整合性が付かない。
(例えばラストが現実なら超絶ディストピア世界の裁判記録になっちゃう訳で)

前半では処方薬、毒蜘蛛、デンタルフロス、鍵や荷物の行方、管理人・隣人・警官等ボーの主観と乖離した人々の反応⋯
中盤では外科医の館そのもの、テスト、未来テレビ、森の演劇団、ボーを知る男⋯
終盤では⋯色々ありすぎるのでもう割愛笑
まぁパッと思いつくだけでこれだけの謎(伏線なのかすら分からないので謎とする)が散りばめられており、更に恐ろしいのは前述の通りこれらが現実である場合と虚構である場合でまた意味合いが異なってくるところ。

そして偶然出会う登場人物がボーの名前や両親が死んだという事情を知っていたり(これは母親のモザイクアートのカットにあるように全員がエキストラだった可能性は大いにあるが、例えば医者夫婦がボーを轢いた所なんかは明らかにアクシデントのようなリアクションだったし、散々述べているようにそもそも母親のモザイクアートが現実に存在していたのかすら判断できない⋯)、そもそも大企業CEOの母親を持つボーは何故あんな所で一人暮らしをしているのか、普段どのように生活しているかだったりも謎。
「トゥルーマン・ショー」のように全て監視下に置かれての茶番という事も考えたが、母親が把握しているボーの日常はセラピーの様子程度だったし⋯。

もう考えるのもアホらしいくらい入り組んで⋯

⋯あれ?「考えるのもアホらしい」⋯?

何か身に覚えがあるぞこの感覚。

そうだ、それこそミッドサマーだ。

あれは色々な要素があるけど、全部取っ払ってアリアスターの失恋体験を元にしているという情報のみで「面倒臭い人間関係も何もかも燃え上がる火と一緒にスッキリしましたね」って結論(暴論)にしたんだけど、本作もそうなんじゃないか?

インタビューでアリアスターは本作に対し自身で「ボーの主観に縛られた映画」「コメディ」だと評している。
つまりは「里帰りめんどくせぇ!行きたくないわー自分を正当化してバックレてぇーー!けど行かなきゃなーーー!」「んで行ったら行ったでやっぱめんどくせぇのかよーー!」って話?
で、「この親不孝者がっ!」って頭はたかれる話?
もうこれでいいんじゃね?
煙に巻いて現実だか虚構だかを誤魔化してるのも、なんか有耶無耶にしてる間に面倒事をすっぽかそうっていう腹積もりじゃないだろうな!おい!
むぎちゃ

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