さかしょ

裁かるゝジャンヌのさかしょのレビュー・感想・評価

裁かるゝジャンヌ(1928年製作の映画)
4.0
《首》《ナポレオン》、常軌を逸した伝記映画(もはや伝記映画とも呼べないが)が奇しくも連立する今、改めて見直すべき作品かもしれない。そしてサイレント期における顔の重要性を誰よりも理解し、且つ大胆に、ふんだんに投下した、至高のサイレント映画とも言っていい。ドライヤーは天才である。それ以外に言葉が見つからない。
伝記映画とは史実に基づくものなのか、史実に忠実なことは映画という前提を忘れていないか、映画とは何なのか。この作品はその本源的問いに辿り着く。フランスの英雄ジャンヌを題材にしながら、ジャンヌを決して英雄として扱わない。脆弱で無惨なジャンヌが、(ファルコネッティの)顔として現れる。そのジャンヌのこれまでに見ない人間性、モンタージュで映される頭骨や花などのモチーフ、ジャンヌの火刑に暴動を起こす群衆、それら全てはジャンヌの心理描写に還元されつつも、それは本質でない。様々なモンタージュはファルコネッティの顔から一つの質を取り出すのみである。そうした時に映し出されるジャンヌとは歴史の偉人か。いや、一つの映画の人物である。
ドゥルーズの「任意の空間」をここに見た。伝記映画は歴史をなぞることではない。歴史の物語における質的差異、これを映し出すことである。その質的差異は、映画という芸術そのものの領域における問いである。このサイレントを継承しながら、映画は詩的レアリスムの時代を迎える。時間とは。空間とは。映画はただのフィルムであるようで、人間の超越的な経験を想起させる。ドライヤーはそれをして見せたのだ。
さかしょ

さかしょ