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雪夫人繪圖
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『雪夫人繪圖』に投稿された感想・評価

映画演出家·成澤に益々感服する。最後の監督作品のひとつ前になるのか、この作品もすこぶる貴重作だ。映画は映画というメディアを越えて、俗に堕ちるか·聖に舞うかして、映画であるを消し去って、大きな存在となり、観る者のこころに残ってゆく。そういった誤魔化しに長けているのが、所謂ヒット作であり名作と呼ばれるものだ。おそらくブレッソンやゴダールもそうで、それをブレンドして、映画技法·スタンスの方を際立ててるのかも知れない。それは他の表現手段を遣うものも同じ事情かも知れない。文字·絵の具·画布·音符·楽器は、別物に昇華するのだ。ただひとり?成澤は、そういった置き換えを拒む。純粋に、ハリウッドの文法や、ソ連モンタージュ理論にも載りきらず、対象の映画的昇華へ進むことはなく、等身大·正確な描写、商業映画としてはみすぼらしく見えなくもないあり方を只、追う、しかし·そのスッキリしたポーズのない姿かたちだけの純度·純粋は、なかなか他では目に出来ないものだ。本作は、戦後(、いや、戦前から)の日本かその地方かの、美意識·価値観が崩壊し、意味を持たなくなってきた、今に続く現実を、自在な和楽器や自然軋み音の意味を外れたタイミングと鋭利さの過剰頻繁、日本を代表する撮影監督成島のタッチを究めた家屋や自然収めの存分仕上げ(俯瞰めや退きめ多·深くは絡まぬも正確角度組み)、時と場をあちこち跨ぎ交錯し·格やリズムもつくるレネ的(·もしくはアントニオーニ的)モンタージュ、身体と心·取分け周囲の人の対し方やそれを引き込んでの意味付け不能となった人々、を臆面もなく·しかし開き直りもなく、正直·解釈なく使い続け·写し続けることで、あからさま意図を示さないままに、日本やそれに類する世界の消失の傾向が果てる事のないように描き抜かれてく。ヒロインのCUの短め角度変えてのさんざん連ね、紅葉や銀杏らの高速形式主義的モンタージュ、台詞続く中での語り手らの場と時の切り替わり戻りは、効果の為でなく·効果が存在しない事をそのままに証明し続けてく。ただ、淡い影だけを受け止める生地の山並みの厳とした端からの人間の物語以前からの威容だけが、確信されて継がれているのかも知れない。
成澤は映画的高揚など信じていないようだ。ブレッソン以上に。しかしクールを気取ってるわけではなく、与えられた道具に見合った物だけを、返し提供し、あからさまでない表現への問い直し·現実の内と外への戻りを観る側に促してるだけのように見える。佐久間はやや容色の衰え、或いは人間味現れ·女優として上らんとしてるピークを越えた頃でそれが逆に効いてる(溝口傑作の木暮の鮮烈さに大きく離されてる事が、逆に意味を持ってきてる)。
東京·京都·信州他に広大な地所と社会的地位を誇った子爵家が、戦後、土地改革やそれまでの無知·放蕩、時勢や執事にまで騙され奪われてく環境の為ひたすら痩せ細ってゆき、その自覚すら薄い「おひいさま」と婿の現当主も距離や侮辱を間に置きながら·肉体的な「好き」と観念的な「大事」さで離れず、間に入らんとする作家も、物語の語り手の冷静な女中も、物語冒頭から健気に引っ張ってく新女中も、当主の気持ちや新しいホテル経営も独占せんとする妾も、いつしか消えてゆき、ヒロインの破滅の甘美·儚さへの我が身の委ねには、この家から連れ出す若い使用人も無力に留まる。
勿論これは「花札~」「~しの」のように、厳密で純粋な傑作ではなく、逆にそれらのポジションを確定せんとするような作である。しかしそういったものでも、まず脚本家として高名なこの作家の演出作をもっともっと、見たかったものだ、と思う。海外の作家で云うと、20数年前少し夢中になったトーメに似た感触か(ま、トーメより遥かに先輩だが、その頃は新藤の溝口ドキュメンタリーに出てきた温和な表情と口調のイメージしか持っていなかった)。
mingo

mingoの感想・評価

4.1
傑作。長年お蔵入りになるのもうなづけるクセの強さだがそれ以上に惹きつける凄まじいものがある。超玄人向け。キャメラ成島東一郎の美意識と成沢の静謐な脚本が呼応したかのような成沢監督デビュー作。ラスト雪の山道を歩く佐久間と谷隼人を横移動ドリーで捉えた場面や朝霧のカットなど目を見張るカットの連続で、溝口より相性良いのではとさえ思ってしまう。佐久間の寡黙(雄弁)なエロスの間で争う現実的な生き方しか選べない丹波哲郎とセックスモンスター山形勲2人の対照的な男たちの造形も完璧。視覚だけじゃなく終始鳴り続ける鼓+パイプオルガンが耳にこびり付くし湖の氷が割れる音なんかも凄まじかった…
貴族の没落と退廃、和太鼓とパイプオルガン、フィルムの質感にこだわり抜いた映像美。重厚な文芸作ではあるが、この時代の佐久間を、妖艶なる白い美貌を、永遠に遺そうという強い意思を感じる。