じゅ

ようこそ、愛しのバリオス・アルトスへのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

ペルーの首都リオ、バリオス・アルトス地区の最低な治安と最高な住民の日々を映し出す。
学生のアナ・エスコバル・ララは大好きな母と喧嘩しながらも仲良く暮らしていて、ロコ・ウィリーはかつてはプレイボーイで子供の頃から犯罪を犯して銃で撃たれたことすらあるが今は妻と平穏に暮らしている。エルサ・コリャードは地政に貢献してかつて何度か表彰された経験もあり今でもバリオス・アルトスの未来を憂いている。若きアーティストのセペダはストリートアートや歌に乗せてメッセージを発信し続ける。ダビッドはバリオス・アルトスの観光業を盛り上げようとSNSでの情報発信や観光ツアーのガイドを務めている。
異なる世代で、異なる背景を持ち、異なる今を生きる彼らだが、共通の想いが伺える。それはなんやかんやバリオス・アルトスを愛してやまない想い。クラクションが鳴り止まず、白昼堂々渋滞の車列の1台に強盗が歩み寄り、子供は靴を買えなくても銃を買い、大人は幼児がいても構わず路上でハッパを吸い、町の各所は犯罪者たちの隠家になっていて、そしてとにかく貧しい。それでも、自身の出自を大切にする土地柄からか、宗教的観念か、彼らはこの地を愛しているらしい。
アナは両親による決定でスペインにいる父と暮らすことになり、ロコも近くバリオス・アルトスを出て行くことを望んでいる。セペダのストリートアートも市長の指示で塗りつぶされて消え去った。それでも、アナは地元を望んでいたし、ロコは出ていってもまた戻ってきたいと語り、セペダの情熱も消えることはないだろう。全て変わっていっても、住民の地元愛は変わらない。

ただ住民たちの心理的・経済的分断はなかなか根深いなと思った。
高地の人"セラーノス"に対して、エルサは理性では公平に接しようとしても心に根付いた差別心まで払拭しきれない。
セラーノスと対立しているというクリオーリョとは、西インド諸島を含めた南北アメリカのスペイン植民地で生まれた白人とのこと。(日本大百科全書からコピペしたった。)他にも中央の人だとか北の人だとかで何かと揉めるんだそう。
ダビッドはツアーの一環でキンタ・ヘーレン・ハウスに向かった。キンタ・ヘーレンは文化遺産に富むバリオス・アルトスの持つ遺産の1つで、1880年にドイツの外交官で建築家のオスカー・アウグスト・ヘーレンにより建てられたそう。1882年に完成し、日本、ベルギー、フランス、ドイツ、アメリカの大使館の本拠地になったんだとか。時を経て今では犯罪者にも使われる危険な場所の1つとして知られるようになったが、有名な観光資源なんだそう。そんなキンタ・ヘーレンの保存活動に取り組むのは主に外の地域のボランティアたちで、ダビッドはバリオス・アルトスの町の人たちも参加すべきだと言う。一方でロコは、バリオス・アルトスの住民の実情を知っている。要は彼らは参加する余裕がない。食うための金にならないから。リマ県にはミラフローレスという富裕層の街がある。ダビッドが相手にするのはそういう場所に住むような人たちで、バリオス・アルトスの人たちとは経済状況がまるで違う。

セペダが政治的な話題にも触れていた。興味深いのでググってみた。
アルベルト・フジモリ政権は1990年から10年間続いた。大統領就任後、大規模な経済改革(通称フジショック)を実行して経済危機を克服し、さらに極左ゲリラの鎮圧に成功する。おそらくセペダの言う「左派の迫害」とはこのこと。1992年に議会の解散と憲法の停止を強権的に発動し、国家再建政府と制憲議会(憲法改正を目的とした臨時の立法機関で、民主的な手続きを経て選ばれた議会の無効化等の強い権限を持つ)を発足する。1993年には大統領権限を強めて任期を延ばす新憲法を発行するも、1996年から経済の新自由主義政策による貧困層の生活水準悪化により支持率が低下。2000年、連続3選を禁じる憲法解釈を捻じ曲げた立候補と選挙不正を批判されながら当選するも、側近のモンテノシスの汚職発覚により大統領職を罷免される。
1992年までの対極左ゲリラ政策の中で、1991年11月3日にバリオス・アルトス事件が発生した。ペルー国軍が、アビマエル・グスマンを最高指導者とするゲリラ「センデロ・ルミノソ」のメンバーと誤認して民間人15名を殺害した。セペダが言った「センデローは考えの違う左派を迫害した」とはこのセンデロ・ルミノソのことか。本件はアルベルト・フジモリが禁錮刑を受ける要因となった事件の1つである模様。
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