真田ピロシキ

妄想代理人の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

妄想代理人(2004年製作のアニメ)
5.0
数年おきに見ていて、その度に理解が深まり物語はより真実味を増す。本作で危ぶんでいた世の中に現実が接近し続けている。

最近自分は日本アニメの大部分をものすごく嫌っていて、アニメに限らず漫画やゲームも含めたオタクサブカルはアヘンと常々非難している。アニメは日本の誇る文化と嘯くが、そのアニメで一体どれくらい現実を描いた作品がある?少年漫画雑誌のバトルファンタジー、深夜の気取ってるが中身はスカスカのSF、同じ顔の美少女動物園、もはや語るのもバカバカしい戦艦や馬の女体化、極め付けはただただただただ都合の良いばかりの異世界もの。これは日本アニメだけじゃない。ゲームをやれば現実の惨劇をどこ吹く風で人を殺しまくって英雄視され、ポリゴンの広大な世界を駆け回って時間を浪費する。海の向こうの実写映画はマンガのコスプレ連中が一年中ハロウィンとばかりに暴れ回りながらご立派なことを吹聴し、しょーもないおっさんが実は強いと人を殺しまくって男らしさをアピールして賞賛される。つくづくポップカルチャーというものに虚しくなった。

「いつから世の中はガキのものになったんだ」作中で昔気質の刑事 猪狩は言う。マンガアニメゲームが溢れて市民権を得たようなツラをしているが、実際は一部の優れた作品以外でそこまで対象層を上げられたとは見えず、ただ受け手が世界的に幼稚化しただけに過ぎない。みんな新自由主義の資本主義社会で値踏みされ搾取され疲弊し切っている。安い癒しが欲しい。それはゆるキャラというまるで現実からかけ離れたグロテスクな動物のモチーフであり、或いは現実から切り離せるサブカルというバーチャルに。

バーチャルもそれはそれとして済ませられるなら良いだろう。だがバーチャル依存は危ない。それは良いお父さんとして振る舞っていた警官が実は娘を盗撮していた悍ましい変態で、そいつは普段風俗店で自分を「お父さんと呼べ」と言って仮想体験していた。それやってたのがダメだったんだよ。家を建てて実行に移せる環境が整うとやってしまって。昨今の暴徒と化しているSNSのインセルが言うポルノコンテンツが性犯罪の抑止になる論への皮肉に映る。本作の風刺のユニークさは現実逃避の癒しアニメ製作現場が過重労働とパワハラ横行の何の夢もないところで、それをアニメで表現する二重の皮肉っぷり。これは日本アニメスゴい思想では作れない。

徹底的に救われたがる人々を描いた末に迎える決着。それまで脇役に過ぎないように見えた猪狩がミスで警官を失職し、心と体を病んだ妻に気が滅入ったところをつけ込まれ「昔は良かった」という書き割りのノスタルジー仮想世界に取り込まれる。そこではお巡りさんとして慕われる。得られなかった娘もいる。世界は分かりやすい。誰も私を苦しめない嫌なもののない世界。だけど猪狩は内心疎んでいたとは言え長い縁を育んだ妻を忘れることはなく、嘘っぱちの世界のヴェールを剥がして現実に帰還する。主人公じゃない。ヒーローじゃない。殺人マシーンじゃない。父親じゃない。警官でもない。でもそれが自分なんだ。何がオープンワールドだ。何がMMORPGだ。何がSNSだ。何がメタバースだ。この現実にしか生きる場所はないし、必死にもがいて多少なりとも社会に関わるしかない。妄想から解放された時、元凶の月子も何者を求められたプレッシャーから解放され、真の意味で救われる。ここまで現実社会をカッコつけることなく描こうとした日本アニメはこの頃から今に至るまでそうそうないんじゃないかな。異才今敏の渾身の一作。

もっともこのアニメが世に刺さったとは残念ながら言えずマニア受けしただけ。オタク(マニアに非ず)はスルーかろくに理解せず消費して終わり。最終回でまろみに変わる猫のゆるキャラが出てたように、現実はグロテスクで幼稚な癒しを大量生産し、本作の翌年には三丁目の夕日という気色悪いノスタルジー映画がシリーズ化され、今敏が亡くなってからサブカルはますます節操なく大資本の力で人をしゃぶり尽くそうとしている。「まるで戦後じゃないか」と全てが終わった後の惨状を見て猪狩は言った。この言葉が今やとても暗示的に感じられる。