むぅ

平清盛のむぅのレビュー・感想・評価

平清盛(2012年製作のドラマ)
4.5
「何それ、こっっっわ!!」

その昔、友人と金麦を飲んでいた。時のCMは檀れいだった。
「私さー、あの檀れい、実は一緒に金麦を飲む人はもういなくて、それを受け入れられずに過ごしてる設定で見てんの」
「何それ!発想が怖いて!!!」
私も大概妄想族ではある。
けれども遥かに斜め上をいく、友人のその"とんでも設定"は私に衝撃を与えた。
そして後々、檀れいを見るたび何か心配になるという副作用が発生した。
金麦から麒麟淡麗グリーンに鞍替えしたのは、あの人も苦しんでるのかもしれないという発想が原因というわけではないが、今回は金麦飲みながらみたい!と思う檀れいだった。
要は、ちょっと怖かった。
怖がるべきは友人の発想で、しかもそれに影響されて勝手に持つ印象こそが怖いのだが。


それを言うならば、物語で出会う平清盛も"油断ならない人""横暴な人"という印象を勝手に持っていた。
そんな平清盛の生涯を描く。


「橋の下だぞ」
「いいえ、お母さんが病院に響き渡る悲鳴をあげて産みました。これは悲鳴も出るわねって助産師さんが、巨大なあんたを見て言いました」
父がふざけて"お前は拾ってきた子だぞ"のニュアンスでそう言った際、母がそう返していた。
"橋の下"よりも"巨大"の方が傷つくんですけど。何ならあなたから産まれたかどうかの方がこちらは不安なんですがという程に、顔立ちも性格も父に似ている娘は微妙な気持ちで両親のやりとりを見つめた。
そして、我が父ながら冗談でも言ってはいけない発言ではあるが、それがちゃんと笑い事になり、1ミリも不安になったりしない程に愛情を注いでもらっていたのだと、このくだりを思い出すたびに感謝しかない。
そして今作では、平清盛の出生は"橋の下"同様、いやそれ以上の残酷さと共に描かれる。


今作における清盛の出生の秘密を知ると、どうして彼が"一族"に拘ったのか、現在でもまだ残る"血筋"というものに固執したのかがわかる。
「おもしろう生きたい」という清盛の軸がどこに起因するのかも。
過去、いくつか触れてきた源平の物語において[源氏の旗は白、平氏の旗は赤]を見るたびに不思議だった。
私の印象は、武士として血気盛んな印象のある源氏が赤、官職を得て高貴な身分になっていく平氏が白(後きっと、白河法皇とか後白河法皇とかと一緒に名が出るから)だったのだ。
けれども今作での清盛の"血"への拘りを見せつけられて、紅白合戦の由来ともされる源平の色は腑に落ちるところとなった。
オープニングの映像や、ジャケ写の平清盛の文字の背景が赤なのも、きっと敢えてだろう。

『ティファニーで朝食を』で忘れられない「気持ちが赤く沈む」という台詞がある。
その時は「気持ちが沈む」はわかっても「赤く」がピンとこなかった。でも鬱屈とした感情は、ちょっと緋色かもしれないと思うようになった。
清盛の一生と共に様々に描かれる赤。緋にも紅にもなっていく。
清盛の目に映る色彩はどんなものだったのだろう。


勝手に持つ印象で何かを決めつけてはいけない。
けれども、時にその印象を嗅ぎつける嗅覚も大事かもしれないと思う事があった。
「こいつ、めっちゃ胡散臭い」
出てきた瞬間にそう思った人物がいて調べてみた。
そうしたら「平家にあらずんば人にあらず」と言ったとされる人物であった。
歴史を知った上で観る大河ドラマも面白いが、知らずに観るのも面白いから凄い。
今のところ専ら後者の楽しみ方なのが情けないところではあるが。
そう思っていたのに。
アニメーション『平家物語』を観返してみて、その胡散臭い人物が1話の冒頭で「平家にあらずんば人にあらず」と言っていて、うっそーんとなった。
我が忘却力よ。
私が琵琶法師だったら『平家物語』は今とは違う物語になっていただろう。


寝ても覚めても大河ドラマで、あっという間に過ぎた時。
もうどこかで梅は咲いているのだろうか。
1本の木に紅白の花が咲く"源平咲き"を見たいと思った。
むぅ

むぅ