塔の上のカバンツェル

チェルノブイリの塔の上のカバンツェルのレビュー・感想・評価

チェルノブイリ(2019年製作のドラマ)
4.6
気分が相当に落ち込んでいる。
1話を去年観てたけど、あんまりにしんど過ぎて、一旦保留にしていた。

事故を起こした体制の罪と、張本人たちたる責任者たちの無責任さ、そして文字通り肉体を捧げてすり潰されていく現場の名もなき人々の物語だった。
そういう意味で、余りにも地獄な"プロジェクトX"※と言える。
但し、本作で描かれる彼らは、その献身と努力の代償として、仕事の達成感ややり遂げた歓びに浸れることもなく、あるのは肉が崩れ落ちていく激痛と絶叫、身体を蝕まれていきながら死んでいく絶望がそこにあるだけである。

※NHKの看板番組



脚本家のグレッグ・メイジンのフィルモグラフィが「最恐絶叫計画」と「バングオーバー」っていうのは、どう二日酔いしたら今作が書けるんだ…。



本作が最も印象的なのは、その抑制の効いた語り口ではないか。
厄災に対して、超人的な献身性で働く人々を、お涙頂戴な演出や、脚色なく、淡々と描いていくことで、こんなにも勇気を奮う人間に対して、その献身は有難いがでも君の命は軽いんだと静かに線を引いていくのである。これは何よりも残酷でしょう。


ヘリが落ちた、仕方ない次のヘリを。
彼等は生き残れないでしょう、仕方ないが行ってもらうしかない。
ロボットが使えない?では人間を使おう。

ソ連という抑圧的かつ、人命軽視の体制のあまりにも冷酷な側面を、本作の淡々とした語り口がより一層、地獄を醸成していく。

原発の責任者が、到着したシチェルビナらに対して、コイツらが責任者のリストです、と責任を擦りつける場面で心底に気分が悪くなった。


本作で良心として描かれる科学者のレガソフと、最初は高圧的な官僚であるシチェルビナのコンビがメインのキャラとして2話以降の、人々の奮闘を指揮し、記録していくことになるわけだけども、
そのレガソフの提示する解決策はSF映画のようなご都合主義など微塵もなく、人海戦術に頼るしかないという…。

原子力建屋に地下道を掘る為に集められた炭坑夫たちのカッコよさと共に、「俺たちの面倒は見てくれんですよね?」という問いかけに対して「知らん」と言い放つ。

正直に提示される残酷な事実。


シチェルビナが当初は事故を軽視していたところ、この場に来た時点で余命を決定づけられたと知り焦燥するシーンは、良かった。

チェルノブイリの収束に身を捧げた彼等だが、レガソフは自殺し、シチェルビナも死に、無数の人々も死に、結局ソ連も崩壊した。

祖国の為や何千万という他者のためにと献身した人々の犠牲に対して、この事実が重くのしかかる。

何より、この日本で、福島の原発で今なお
努力を行なっている人々がいるという事実に対して我々の無関心の態度、中々に気分が落ち込む。


直視するのが辛いほど、エキストラや時代考証、CGの作り込みや、役者陣の真に迫る演技など、HBOのこの熱量がなければ、今作を2度と見るまいと誓うほどの作品にはなれなかったでしょう。

建屋の屋上に散らばった瓦礫と黒煙の撤去の困難さなど、福島で直面する現実を画的に再現していくプロセスとしても、本作の価値は大いにあると。

ある意味で、ウクライナ人やロシア人、ひいては日本人ではない、当事者ではないアメリカのHBOが撮ったからこそ、ここまでの作品に仕上がったということでもあるのでは。


ちょっと当分立ち直れないと思う。


ただ、最終話で死が迫ったシチェルビナが小さい芋虫を手に乗せて一言、美しいな…と呟く場面、人命に対する本作の姿勢を凝縮したこのシーンに救われた、とも。


エンドロールで流れる犠牲者への哀悼と鎮魂歌に、押し黙るしかなかった。





【追記】
ロシアの御用メディア、ロシアビヨンドが本作のキャストが史実の人物にメチャ似と褒めていたので、この辺も確かなんだなと。

https://jp.rbth.com/arts/82140-dorama-tyerunobuiri-no-kyasuto