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池袋ウエストゲートパークの都部のレビュー・感想・評価

池袋ウエストゲートパーク(2000年製作のドラマ)
4.1
2000年代初頭を代表するドラマとして知られる本作は、当時の時代性を色濃く反映した作品だからこそ時代を象徴する色褪せない作品として優れており、現代でも洒脱な堤演出と豪華俳優陣による強烈な印象を齎す登場人物たちが形作る世界観はきわめて無二のそれである。

街を取り仕切るカラーギャングを初めとして街角に溶け込む風俗店や薬物の流通に正当性を著しく欠いた暴力沙汰。それらに纏わる少年犯罪が横行する本作の世界観は、時代ならではの表現の自由性により担保されており、『今では絶対に地上波放送出来ないもの』という希少価値が生じているのも大きく、またこれは人生の負け組と一括りにされる者たちの物語を語る上では避けては通れない猥雑さであることはやはり明瞭だ。

それはそんな面倒な清濁を呑み込んだ上で、その街のすべてを愛そうとする主人公 マコトの強力な主人公性に奥行きを持たせる為の描写にも繋がり、現代の視点から見れば異例いや異形とも言える池袋の街で展開される騒動の数々に現実性を持たせる事にも見事に成功している。

件のストラングラー事件を主軸として、物語はマコトの元に舞い込む数々のトラブルによりオムニバス形式で語られる。その経緯や結末に非現実的な質感を帯びる側面はありながらもそのどれもが社会的弱者とそれに基づく問題が大きく関与するもので、社会の下層に位置する人間のドラマを重ねるほどに頭と尻に置かれた『俺たちはゴミではない』という高らかな謳いがはっきりとした形と無視できない重さを得ていく。

この社会から排斥される属性を帯びた者たちの遠回りな人生賛歌というテーマ性は個人的にも好ましく、逃げのない表現が筋を通している。

また本作は破滅型の青春劇としても優れている。
自由を謳歌する為に無法を気取る少年たちが苛烈な現実と直面してくず折れ、かように流れに逆らおうとも賢しい大人達に丸め込まれてしまう構造の無情さ。社会に弄ばれ続ける滑稽さを一歩引いた視点から悲喜劇的に捉えながら、そこから脱却して少年が大人になるまでの普遍的なモラトリアムからの卒業を追った物語としても一貫しているからだ。

不満点としてオムニバス形式の負け犬たちの物語を断続的に追っている時の方がライブ感としても優れていて、筋道が定まっている終盤の展開は類型的な物語に片足突っ込んでいた節があって、また最初に示されたストラングラー事件の真相は衝撃的ではあるが物足りない部分があった。

とはいえ長瀬智也や佐藤隆太を主演として、後にそれぞれが作品の顔役として主役を張る才能を秘めた若手俳優たちによる小気味の良い脚本が繰り出すアンサンブルは非常に楽しく、そんな才気ほとばしる熱狂を渡辺謙ときたろうのベテラン両名が引き締める俳優の妙をも作品内に落とし込んだ設計まで含めてやはり非常に優れた作品なのは間違いない。
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