真田ピロシキ

THE LAST OF USの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

THE LAST OF US(2023年製作のドラマ)
5.0
『ラストオブアス』は1と2合わせて私のゲーム史の中でもトップ5に入る大傑作で、あらゆる分野のゾンビものの中で最も迫真性を有した作品と思っている。それだけ思い入れが強いだけに、ドラマ化には危惧している点が多かった。ゲームは自分で操作するためにキャラクターや世界観への没入感が高まるので、ただ眺めてるだけのドラマは例え忠実にやって役者が好演しようと劣った体験、プレイ動画勢みたいになるのではないかと。

しかしこのドラマ、まず撮影がとても素晴らしく重苦しい崩壊した文明や微かに差し込む光の描写にうっとりする。原作ゲームはPlayStation3〜5の当時発売された中で最高峰のグラフィックを誇っていたが、どんなに綺麗でも所詮作り物のCGに過ぎないのに対してこっちは実写なので現実感に関しては比べ物にならない。ロケーションや小道具は原作ゲームに極めて忠実にやっていて、元々が同じゾンビゲームでも『バイオハザード』等とは違い超シリアスなため、ゲームを再現しても滑稽さが全くない。ゲームと同じアクションが自然にできるんですよ。

全編素晴らしいが、白眉のエピソードは3話。ここで80分の長尺でほぼ丸々主役を務めるビルに関しては大胆な脚色がされているものの、本当にビルのキャラクターを理解しきったもう一つのラスアスが繰り広げられている。原作でもビルはサラッとゲイであることを明かされて、その演出に流石向こうの人権感覚は進んでいると当時大いに感心したものだが、本作では厳つい見た目とは裏腹にピアノが弾けて料理も達者な繊細な人物でありながら、恐らくあの町は彼がゲイであることを明かせるような土地ではなく、武装して世を憎み破滅を喜んだ。そんなところに現れたフランクの救い。フランクとの関係もゲームとは異なっているが、この改変も大いに納得できる。1番の長尺に物語の大筋には関係ない新訳ビルを使った点に、ただ原作をトレースするだけに終わらせない高い志を見て取れる。

アクションゲームでは描きにくい日常パートや主人公以外の人物の肉付けもドラマならではの良さを示せている。1話と2話では冒頭でパンデミックの前触れを描き、原作にはないエリーの母親についても触れられている。ヘンリーとサム兄弟を狩り立てる町やデビッド率いる人喰い集落など、ゲームではモブ敵として片付けられてた人達にも人格が与えられていて、それは単純に人間ドラマの厚みを増すのもあるが、その過程でジョエルが幾人も殺める業の深さ、異様さをまじまじと見せつけられることとなり、ゲームの2をやってる人間にはそれが意味するところを痛いほどに分からされてしまう。その終着点が最終話の誰だってそうする"正しい"行動。あっさり流したようで医者を最後にクローズアップしてるのが知っている人間には心を抉られる。

ゾンビドラマなのに感染者の出番が少ないのは本作が建前でなく1番怖いのは人間だと描いていることを思えばおかしくない。ゾンビなんか殺せばお終い。人間は恨みを重ねる。それを思い知らされて2は人間を敵にするのが精神的にシンドかった。出番は多くないなりに要所要所で感染者も目立ってて、2話で初登場する難易度関係なく一撃死のクリッカーはヘッドホン装備で見てたのもあり思わず自分も手で口を塞いで息を呑むほどの感情移入。ボス的存在のブローターも出てくるが、あの数の武装した人間を蹴散らすバケモノをオッサンと少女と素人兄弟の4人で殺すのは無理があると判断してか殺すことはなかった。元々ゲーム的すぎる存在だったし、ちょっとこれは余計だったかもね。2にはラクーンシティと居場所を間違えてるようなもっと変な化け物がいたんで、ここは少し考えて欲しいかな。

エリー役のベラ・ラムジーは最初ゲームのエリーに似てないと思っていたが(エリーはエリオット・ペイジがモデルと思われる)、しばらくするとエリー以外の何者でもなくてこれもまた作り手演じ手が高すぎる理解で作品に臨んでいる証。実写化に当たって見た目の忠実さは必ずしも重要ではない。途中までしかゲームと同じ吹き替えが追いついていなくても何の問題もない。ジャクソンに出てきた馬のキラリやエリーとジョエルの望みの違いのようにしっかり2への布石を打っていて、次シーズンをやるのは間違いなかろう。自分はアメドラのクリフハンガー引き伸ばしを汚い商業主義の権化と忌み嫌っていて『ウォーキングデッド』などはその最たるものと最初の辺以外全く評価していないが、本作は原作が2で完全完結してるし、このシーズン1を見るに余計なエピソードを足してダラダラ停滞することもなさそうだから次に期待できる。信頼のHBO。他とは格が違う。ゲームの映像化に置いてこれ以上のものを他に知らず、しばらく塗り替えられもしないだろう。