なっこ

トッケビ~君がくれた愛しい日々~のなっこのレビュー・感想・評価

3.1
ある日の事でございます。
御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいましたー『蜘蛛の糸』芥川龍之介

トッケビを見ていると、この冒頭部分の言葉が静かに響いてきた。幼い頃一人芝居で見たこの掌編は、本当に短いお話だけど心にいつまでも残る名作だと思う。教訓的で親切に生きようと思わせてくれる。そして、いつも私は思う、このお釈迦様はちょっと意地悪だなあと。

トッケビの存在や前世で悪行をなした人がなるという死神やそれをも上回る力を持つ天や神の存在を描いたこのファンタジーには、世界はそんな風にまわっているのかもと、信じたくなるそんな素敵な世界観がある。そして、それを上回る物語の神とも言える存在、ヒロインのウンタクをはじめ、この世に見放されたと感じている小さきもの弱きものに奇跡を起こしてあげる情の深い存在をこの物語からは感じる。人間の意思が神の筋書きを上回る、そんな言葉が印象的だった。死神と同居しているからか、それともトッケビの花嫁は幽霊が見えるからか、多くの人の死がこの物語を通り過ぎていく。死神の仕事場であるあの小さな部屋でお茶を振舞われる自分を想像してしまう。前世、現世、来世、当たり前のように連続した生のイメージがそこにはある。奇跡は毎日起きているのかもしれない。それに気が付いて自分が次にどう行動するのかを常に私たちは問われているのかもしれない。トッケビが特に幼い子どもを手助けするのは、彼らには良い方向に導くことができる未来の余白が大きいからなのかもしれない。世間から忘れられ誰も自分を気にかけてはくれない、そう感じている彼らに、見守ってくれている大いなる存在があることに気が付けたなら、この世はきっと生き易いものになる。トッケビは西洋の妖精やトリックスターのような気ままな存在でもあるのかもしれない。

途中で切れてしまいそうなほど頼りない蜘蛛の糸は、本当にお救いになるおつもりがあって垂らした糸だったのだろうかと、私はいつも訝しんでしまう。

偉大な存在のはかりごともきっと、そんなにうまく運ぶ例ばかりではないのだ。

ヒロイン役の女優さんには本当に眩しいと言う言葉が似合う。若さが輝いていた。コン・ユとの年の差カップルあるあるのやりとりがいちいち可愛くて見ているこちらまで幸せにしてくれる。そして死神とトッケビの奇妙な同居生活も楽しくそこで生まれる友情も素敵。運命の相手が互いに死をもたらす存在であるという悲恋のstoryがベースにあるからシリアスな場面も多くて泣かされもするけど、ほのぼのとした日常シーンもあってほっこりもする。死神とサニーさんの恋模様も前世のせいでなかなか進展せずにやきもきするけれど、ふたりのキャラクターが魅力的で惹きつけられた。

私は誰かの守護神になれているだろうか。いや、それほど大きな存在になれなくても、誰かの人生を素敵にするお手伝いができる人でありたい。そういう日々の積み重ねであれば良いな、そんなことを考えた。
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