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私の帰る場所のkuuのレビュー・感想・評価

私の帰る場所(2021年製作の映画)
3.5
『私の帰る場所』
原題Lead Me Home.
製作年2021年。上映時間40分。

アメリカ西海岸地域のホームレス問題に光を当てた痛切なドキュメンタリー。
ホームレス生活を送る人々の素顔に迫り、深刻化する人道的危機の現状を映し出す。

人てのは時に、己の生活を良くするために選択しなければならへん。
そのために、今住んでるマンションを安いところに引っ越すことを選ばなければならないとか、転職を考えてる等々は常につき纏う。
小生は、人々に手を差し伸べることを全面的に支持するが、常に手を差し伸べるのは完全に肯定することを是とできないと個人的には思う。
世界で豊かな国の一つに住んでいることは理解してるが、自分の状況を変えようとしない人に、より良い生活をする権利はあるのか疑問がある。
20代前半に数年間、刑務所に拘束されてた方々と交流をもって感じたことです。
社会のせいにすっことも出来るし、自分で変えることも出来る。
精神的にも肉体的にも自分の面倒を見ることができない人たちがいることは確かやし、社会としては、そないな人たちの面倒を見ることを全面的に肯定派です。
反面、社会人たるもの働らいて当たり前やと云う固定概念は、日本には根強い、いや、先進国でも至極当然になってる。
実際は、生産性は高まってるし、先進国は勿論、日本においてもの労働時間も減少傾向にある。
労働しなくても暮らしていける世界に近づいてるし、近い未来には、労働を減らす、無くすという発想も必要も過激やけど思う。
ただ、働くことが生きがいになってたり、なおかつ収入を貰えて豊かに暮らせるという姿もあるし勤しむ方も肯定する。
ただ、生きるためや、世間体のためちゅうネガティブな労働もあることは事実。
特に日本においては、必要のない労働が存在してる。 
ほんと、コンビニいっても、爺さんがレジ打ってたり、高齢者は働きすぎてる。
暇を持ちノンビリ過ごすことを悪としてるかのように。
深夜枠バラエティー番組『月曜から夜ふかし』株主優待で生活する“桐谷さん”は間違いなくこの典型的な方かな。
そもそも、老いも若きも仕事と生活が一体化しすぎてるかな。
高齢労働者の中には、年金が貰えずに生活のために働いている方もいるが、それを聞くと、こんにち、日本人が豊かさを謳歌できるのはそないな方々の努力があってこそやし、申し訳なく思う。
ただ、なんとなく暇やから働くという発想の方も少なからずある。
年金を貰いながら(十分に生活出来る額がある方)働くのは若者にとって害になりかねない。
低い時給でも働いてしまう年金生活者が、少しでも高い時給が欲しい若者の機会を奪ってしまってるんが少なからずある。
労働相場形成においては下げ要因になってるをは紛れもないかな。
働くって、ゼニを稼ぐためだけではなく、働くことで生産を行ったり、目的を達成したりするという意味がありますが、ここで書いてるのは、収入を得る目的で、からだや知能を使って働くことです。

小生は可能なら、人類の半分以上は働かない方がいいと思う。

生産活動を行う上でマイナス影響しか及ぼさない人間が大量にいるから、失礼。
アホなこと書いてるが、小生は齷齪働くことを放棄した。
己の糊口をしのげれば、由として生きてる。
ただ、それだけではいざと云うときに困るからギャンブル性が低い資産運用は多少してるが(それは株の売買やけど、ギャンブルにはかわりないが)。
それで、不幸かと問われたら、齷齪としていた頃より十二分に幸せである。
この先、ベーシックインカムが可能となれば、人類は如何程の人々が齷齪とやるんか。
とふと思いながらに見た今作品の40分でした。
因みにベーシックインカムてのは、最低限の生活に必要な現金を、全国民に一律支給する制度。
具体的な金額については勉強不足ですが、過去には、竹中平蔵が『全国民に毎月7万円レベルなら財政的に可能』と発言してて、実際の生活には少ないが、国庫とのバランスをみるなら現実味のある数字じゃないかな。
ただ、この考え方・思想に対しては古代ローマにおけるパンとサーカスの連想から『国民精神の堕落』とか、倫理的な側面から批判されることがあるのは確かやけど。
所得給付の額次第では給付総額は膨大なものになり、国庫収入と給付のアンバランスが論じられたり、税の不公平や企業の国際競争力の観点が論じられることもあるが。。。
また、機会があればこの事は書きたいかな。

パンとサーカスの連想てのは、ラテン語で『Panem et circenses(直訳は「食糧と娯楽」)』といい、古代ローマ市民達がこの二つを国家(または政治家個人)から与えられて満足して政治に無関心になったさまを、詩人ユウェナリスが著書『風刺詩集』の中で揶揄したものが広まったもので、現代では『愚民政策』の比喩としても用いられますぅ。
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