CureTochan

ダウンタウン松本人志の流 頭頭のCureTochanのレビュー・感想・評価

3.7
実在しない謎の食べ物の話という知識だけはあって、「実業団選手権大会」とか「日本の匠を訪ねて」みたいなやつかと思っていたら全然違った。これら二つのコントも、笑いながらも感心するやつだったけど、本作はまったく笑いのない1時間の芝居だった。見ててこっちが恥ずかしいほどの失敗作である「大日本人」の前から松ちゃんの、テレビやライブでないコントのビデオはあまり面白いと思ってなかったので、期待しないで観たのだが、なんとオチがよくできていてビックリした。

実も蓋もない解釈をするならば、父親や家族に対する無関心や、それが普通になっている日本社会の空気を暗喩しているのが「頭頭」と、それを食べる習慣なのだ。ラストに父の死でそのことを意識した三兄弟にとって、頭頭はただの髪の毛に見えた。もっとふわっとした解釈も、お好みなら可能だ。家族を持ち、子供を育てている長男の松ちゃんだけは、頭頭を食べ物とは認識しながらも食べる場面がない。この点は、あと二人の(知的レベルの異なる、独身の)兄弟がいるおかげで対比できる。捨てられる側のお爺さんが、昔は甘い部分が好きだったと語るのも面白い。孫にも愛されない寂寥感こそ、松ちゃんが描きたかったものかと思う。彼のコントにはそういう面があって、必ずしも笑いを目指さない(寸止め海峡の「ランジェリーヤクザの男」なんて、後半にランジェリーヤクザのほうがまともに見えてきたら俺の勝ちだ、みたいなこと言ってた)。テレビでのアドリブのボケ・コメントや写真で一言こそが、芸人としての彼の頂点である。独りごっつは何度も見れる。小籔が最近、YouTubeで言ってたのも同じことだろう。

最後のオチがいくら素晴らしくても、無駄に長すぎたといえば「ウルフオブウォール・ストリート」のようではある。本作も長さは半分にできるし、演出はヘボいし絵的にも狭苦しい望遠とか標準レンズばかりのテレビ映像だ。それでも、一応ストーリーをきっちり表現しつつ、全体がオチに収束するシナリオ構造の美しさから、見る価値はあると思った。お爺さんの芝居がもう少しよければなお良かった。「日本の匠を訪ねて」のひねりっこちゃん、みたいな方向性とはまったく違い、そういうことか!と、制作から30年後に私を感心させるなんて大したものだ。

本作について松ちゃんが語っている記事は読んだことがあり、「頭頭ていう食べ物が本当にあるんですか?」などと訊いてくる人がいて、アホかと思ったけど、それは芝居が成功しているので嬉しい反応でもあると言っていた。説明なしのメタファーやお笑いは見る人を選ぶ。先日、M-1グランプリで優勝した若いコンビが、笑いを本当にわかっている視聴者なんてほとんどいない、とインタビューで語っていた。プロも大衆も笑わせるなんて大変だ、と。このたびの松ちゃんの騒動で、彼が消えても私はまったく残念ではないが(たぶん本人もそうだろう)、「無実なら仕事を続ければいい」とか言ってる人たちは、間違いなくお笑いを理解していない。テレビで笑いが成立するには、さまざまな条件が必要なのに。たとえば、中居君とやってる番組なんてお笑い好きは、まず観ない。結局、「多数の人が認めているから」という根拠でしか彼を理解していない人がほとんどだった。映画の場合、巨匠とか名優とかいう言葉に多くが騙されるように。だからIPPONグランプリの視聴率だって、よくて10%なのである。このたびの記事に喜んで飛びついて、真偽など気にしない大衆の多さこそ、アートが人を選ぶこと、わからないで排斥されてきた人が抱える鬱憤の証左である。ツイッタに張り付いている多数が、笑いがわからないタイプなこともあるだろう。この「頭頭」もリリース当時は、わからなくて怒る人が結構いたらしいし、私もそのころにはわからなかったかもしれない。わからない、と正直に言えるホリエモンとか茂木健はまだ上のクラスなのだ。とはいえ、東大に入れても、笑いがわからないのはやはり頭が悪いと思うけど。
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