CureTochan

アメリカン・フィクションのCureTochanのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.2
とにかく音楽と映像がよかったから、映画館で観たかった。良いスピーカーかヘッドホンで視聴するべきだ(もちろん音楽は、「黒」っぽい)。こんなに笑える映画も久しぶりだった。むろん芝居が良いからだし、キャラクターたちはことごとく愛らしい。問題は本当に最後だけ、終わり方で、そこも笑えるなり泣けるなりすればアカデミー賞をとったかもしれない。それでも、この監督は見事なデビューを飾った。次作が楽しみである。

ボストンに帰ったところでホッケーチームの名前が出てきて、日本人の私にはわからない。金のかかるアイスホッケーはボンボン白人の遊びなのだが、字幕に配慮がなさすぎる。チームの名前ではなくホッケーファンとかにすれば、まだわかりやすかった。こう言うネタが多そうだからredditでいろんな感想を読んでみた。主人公が病院を訪れ、武器を持ってないかボディチェックを受けるが、これはその病院が女性の意志による中絶をサポートする特別な病院だからだ。中絶に反対する過激なカソリック信者に襲われて、医者が殺されたりするのだ。実際、原作ではそれが話に関わってくる。ここを改変するなら病院の設定もいらんかったのでは、、

ウソの小説を気に入って、出版したいと言ってきた最初の出版社の女が、刑務所の廃止(改善)がどうこう、と言い、主人公とエージェントが(女のバカさに)うめき声を上げる。ここがアメリカ人的には無茶苦茶笑えるらしいんだけど、私には普通に面白い場面でしかなかった。アメリカではある程度、ポピュラーな話題なのだろうが、こういうのは言葉を理解できるだけでは無理である。言葉だけでわかる部分にしても、主人公の喋り方とかが重要なので、吹替となれば面白いところは5分の1ぐらいに減るだろう。ただ下層の黒人の英語が、動詞にぜんぶ三単現のsがつくとか、そんなのアメリカ人でも現実に見たことがあるのだろうか。知的な英語を話す家族の中で、お手伝いさんの英語だけ南部奴隷ばりのファーストネームにミスター・ミスがついている。ちなみに原作では、このお手伝いさんに対する家族の差別まで出てくるらしい。

差別といえば、先日のアカデミー賞の授賞式でRDJが前年の受賞者であるキー・ホイ・クァンに悪い態度を取ったことが話題である。本作に出てきた、通り過ぎていってしまったタクシーのごとく、クァンのフィストをスルーしたRDJは本当に無礼だったと思う。ダウニーの一連の動きが芝居がかっていたのはわかるが、目を合わせもしないしクァンに対するリスペクトのなさは明らかで、そんな扱いをするならアジアンに賞を与えなければよかった。このぐらいの経験は、本人にとっては差別というほどのことではないのだが、みんながされれば集合的には差別といえるし、テレビの前でやるものではない。そもそも日本=アジア人だから原爆を落とすようなこともできたわけで、受賞作品の内容を考えれば不適切度は高い。暴動が起こっても良いぐらいだ。yellow lives matterである。ただ我々は白人より知能が高いので、そのような実力行使ができない。知能の高い本作の主人公が、孤独であり、馬鹿に合わせるしかないように。










そんな差別の話かと思って、本作をゲラゲラ笑いながら観ていると、そこまで人種差別の話でもないなぁ、人種差別の基準って何かしら?という気分にどんどんなってくる。もっとあからさまに人権を奪われるようなことならまだしも、高尚なブンガク小説を書いても認められず、ラノベを書いたら売れたってのはどこにでもある話だ。redditで一番たくさんのupvote=「いいね」がついていたコメントは、文学賞の審査委員長の「黒人の声に耳を傾けるべきよ」というセリフが笑えた、というものだった。そのとき、まさに二人の黒人の意見が無視されていたからだ。だけどこれも、人種というよりは、馬鹿のほうが人数が多いことによる「少数派が多数決で負ける」現象にすぎない。この映画を誰もが理解できるということは、そこまでは何色の肌であろうがわかるはずだからだ。馬鹿とは言わないまでも、やはりアメリカでも白人が7割を占めているわけで、その社会で白人に本を売るしかないのは当然だ。

文学賞の審査のために集まった建物の中で、ある写真が飾ってあるのを主人公は見つめる。この写真はドールテストという有名な実験で、白と黒の赤ちゃん人形を見せられて、どっちがほしいかを子供に尋ねるというものだ。すると黒人の子供も白い方を欲しがったらしいんだけど、それは一つには世の中で売ってるのが白人ばかりだからではなかろうか。もちろん、だからこそ黒人のやつも売るようになったんだけど。

映画化でカットされた部分は相当に多いようだけど、ヒットした「黒人小説」の作家と直接の話し合いになる場面はとてもよかった(この意見も多かった)。そこからラストへ進んでいくわけだが、わりと急にメタ的になって、「大日本人」ほどのバラバラではないにしても、客は冷めてしまう。ここもredditで、映画監督と主人公が会っているのはどの水準でのことなのか?という議論があった。喧嘩した彼女とはまだ連絡が取れない、と主人公が言うことによって、かろうじてそこまでの映画の内容は「本当に」起こったことだとわかる。だが、そこからあと、赤い車に乗って帰っていく部分は説明不足っていうか、車の外から見てる男は一体誰なのか?いろいろ投げっぱなし感が残っており、ドラマシリーズ化してほしいという意見もあった。
追記:@ChantaroPOPO さんの感想でわかった。あれは黒人的なキャラで食っている役者だったか!

主役の俳優は007で見たときも優秀そうな役者だと思った(主役よりずっと・・)。冒頭のMGMのライオンがお〜もボンド映画と同じ。兄ちゃんの俳優は知らなかったが、調べたらスタンフォード卒。お姉さんもいい芝居だった。黒人でもインテリだと、子供が全然いない滅びゆく家族になるのだ。その辺が上手くできすぎて、まだまだ見たいのに急に終わるからラストに肩透かし感ができてしまった。

セロニアスって、見ただけで黒人とわかる名前なんかしら(元々は北欧系の名前らしい)。セロニアス・モンクといえばセンスだけで勝負の、弾きまくらないヘタウマ系ピアノとして、若い頃に聴き込んだ時期もあった。それも想起させるスパースな音のサントラは白人女性のベテラン劇伴作家によるものだ。挿入される歌のセンスも素晴らしい。こういう層の厚みがあるからハリウッド映画から離れられないのである。別に我々ジャパニーズが映画に出る必要はないか。
CureTochan

CureTochan