日尭太郎

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルの日尭太郎のネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

なんというか、凄いものを見た。これが10周年の節目に送られる完結か。

個人的にオーズの魅力とは、「欲望」の善さと悪さの両面を明るいテイストで描いて、その狭間の葛藤から生み出される展開のカタルシスにあった。
それを象徴するのが、やはり火野映司とアンク、人間とグリードの一筋縄ではいかないコンビだった。
あらゆる人をどこまでも届き救える力を求めた映司と、方やメダルの塊でしかない自分にコンプレックスを持ち命を求めたアンク。二人の正反対の欲望、「契約」というドライな関係性でありながら、その中で生まれていく絆と呼べるような何かが生まれていく様を、4クールを使って存分に表現したのが仮面ライダーオーズという作品だったように思う。

それを踏まえた上で、はっきり言うと今作は期待外れというか、オリジナルキャストのクロスオーバーのない単体映画という舞台でどうしてこうなってしまったのか。
この結末になった理由は浮かんではいるが、もう少し上手くやれなかったのか。
せっかく復活したグリードが殆ど使い捨ての扱いとか、新キャラのゴーダが良さそうだったのにありきたりな立ち位置に収まってしまったとかは置いといても、映司を殺す必要まではなかった、というか期待なんてされてない。

こうなった理由もわからないではない。

というのも、オーズは映司とアンクの「その後」を描こうとするのを徹底的に避けている。
客演として登場した映画でも、二人が登場したところで(燃えはするが)やっている事は最終回の再演であった。

何故か。

そもそも、映司とアンクの関係は決して「仲良しこよし」とか「凸凹コンビ」では表せない複雑なものだ。
グリードであるアンクは本来人間とは相容れない。映司との協力関係もあくまで自分のコアメダルを集める手段として、対する映司もグリードに対抗する為の必要性として、お互い共にあった。
その関係には根底として必ず「お互いの得となる契約関係」が存在した。それはアンクと映司に限った話ではない。
セルメダルの回収の為にアンクと契約条件の取引を交わした鴻上会長。倒す敵は同じながら、セルメダルを巡って競争を繰り広げた伊達さん。
オーズの関係性には必ず「利害」が絡んでいる。無論、それだけに終わらない「人情」も大切にされていたからこそ、決してギスギスした雰囲気にならないバランス感覚がとても素敵だった。

では、最終回を経た後の映司とアンクが、再びお互いを繋げる「利害」とは何なのか。
アンクが復活して、平和な世界で二人でいつものやり取りを繰り広げるのは、まぁ良い。でも、それはこの関係の魅力の一つであったドライさが抜けた、炭酸が抜けたコーラのように刺激のない関係であろう。
結局、二人を再び繋げる新しい「利害」を設定できなかったのが痛かった。

だから、今作でもアンクと映司は最終決戦まで一緒になる事はない。「利害」の部分は映司に取り憑いたゴーダとアンクに託され、二人が邂逅する事を意図的に避けている。
さらに、最終決戦ですらやっていた事はアンクと映司の関係を逆にした、TVシリーズ最終回の再演でしかない。
つまり結局、映司もアンクも、あの最終回から先へは進んでいなかったという話である。
「いつかの明日」を想像できてない。だから、「終わった昨日」の話を繰り返し、ついにネタが切れて映司まで殺す事になった。

本作における実質的な主人公はアンクだが、本編を経て感情的になって涙もろくなった様は感慨深いといえば深いが、一方で「らしくない」感じもあり、脚本に動かされている印象は否めない。
対する映司も、小さな女の子1人救って満足して逝くという、これまた「らしくない」終わり方。彼自身の欲望を考えれば、こういう死に様になるのは不自然ではないが、まだまだ欲望の道半ばといった映司をここで殺すのは全くイメージに沿ってない。

しかしながら、久々に揃ったオリジナルキャストの演技が10年前と比べて全く褪せてないのが惜しいというか、悔しい。
もっと、こう、何とかならなかったのかという思いだけが強い。

こうなると、映司が死んだとはいえ「真の完結編」という形で続編作って欲しい。
まぁ、はっきり言うと仮面ライダーなんてリアリティラインとかそんな厳密にしている作品群ではないのだから、アンクが生き返ったように映司を何か生き返らせる映画をもう1本作っても良い勢いはある。

それぐらいの欲望は許されるはずだ。
日尭太郎

日尭太郎