タケオ

PIGGY ピギーのタケオのレビュー・感想・評価

PIGGY ピギー(2022年製作の映画)
3.9
-「ファイナル・ガール」を脱する時『PIGGY ピギー』(22年)-

 いわゆるホラー/スラッシャー映画の「ファイナル・ガール」の多くが処女であることは、キャロル・J・クローバーをはじめ多くの批評家や研究者から常々指摘されてきた。その背景に「処女=純粋な存在」という保守的かつ旧態依然的な価値観があったことはいうまでもない。とはいえ、時代の流れとともにホラー/スラッシャー映画も変化していく。「ファイナル・ガール」という類型的な女性像の批評/解体を試みた作品は数多く、本作『PIGGY ピギー』(22年)はその最新形態とでもいうべき作品である。
 本作の原型となる短編映画『Cerdita』(18年)は、肥満体型のいじめられっ子サラ(ラウラ・ガタン)が誘拐犯に連れ去られるいじめっ子を見捨てる姿を描き、第33回ゴヤ賞短編映画賞を受賞した。監督を務めるカルロタ・ペレダは本作で『Cerdita』の物語をさらに膨らませ、連れ去られるいじめられっ子を見捨ててしまったサラの葛藤を描き出していく。サラの心の機敏を軸に物語が組み立てられているため、どちらかというとホラー/スラッシャー映画というよりかは「青春映画」としての側面の方が強い。くわえて、あろうことかサラは誘拐犯に淡い恋心を抱くようになってしまう。家族とも馬があわず、同世代からもいじめを受けるサラにとって、遭遇した際にささやかな優しさをみせた誘拐犯は'異質の存在'だったのだ。日々疎外感を味わう孤独なサラと、'異質な存在'としての誘拐犯。『PIGGY ピギー』はやがて奇妙な「恋愛映画」としての様相を呈しはじめる。揺れ動き続ける2人の関係性はスリリングで、それでいてセクシーだ。
 もちろんクライマックスではホラー/スラッシャー映画らしく、サラは「ファイナルガール」として誘拐犯に立ち向かう。誘拐犯に挑み、そして血塗れになるサラの姿は美しい。誘拐犯との決闘はある種の「セックス」、すなわちサラにとっての「処女喪失」として機能している。保守的かつ旧態依然的な意味においての「処女=純粋な存在」を脱したサラが放つのは、理不尽かつ不条理な「社会」をひとり生き延びようとする「大人」の輝きなのだ。
タケオ

タケオ