タケオ

首のタケオのレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
3.9
-安土桃山時代ゆえに可能となった「たけし軍団」の再来!『首』(23年)-

 80~90年代に「たけし軍団」は過激な芸風で一世を風靡した。しかし、今となってはそれも昔のはなし。その後、良くも悪くも時代の「意識」は格段に高くなったため、彼らの芸風は通用しなくなった。極端に潔癖化された現代において、「たけし軍団」のギャグは成立し得ない。北野武は誰よりもそのことに自覚的であろう。
 そこで北野武は、安土桃山時代を舞台とすることで「たけし軍団」の過激な芸風を現代に成立させようと試みた。「現代の理屈がまるで通用しない血で血を洗う悪趣味残酷ワンダーランドでなら、過激で不謹慎なギャグをいくらやろうと文句もあるまい」という、いかにも北野武らしい算段で組み立てられたのが本作である。傍若無人に振る舞う織田信長(加瀬亮)と、その跡目を狙う武将たち。彼らの間に義理や人情などあるはずもなく、それぞれの武士道ですら己の欲望を正当化するための屁理屈でしかない。本作において武将たちは、いずれも血と権力に飢えた下衆で卑劣な存在として描かれる。「侍の美学」などあったものではない。生首ゴロゴロ、死体もゴロゴロ、全く無意味な死の連続。神も仏も救いもない。ニヒリズムだけが全てを支配する。そんな無慈悲な世界を北野武は徹底的にギャグとして茶化し倒す。「たけし軍団」ならではのとびっきりくだらないやり方で。「時代劇」というフォーマットの中で好き放題に暴れる北野武は実に楽しそうだ。まるで欲しがっていた玩具を手に入れた子供のように。
 戦場で泥だらけになる兵士たちを陣地からニヤニヤと見下ろす羽柴秀吉(北野武)。この構図が『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(86~89年)でなくてなんだというのか。本作でも北野武は、自ら演じるキャラクターが北野武その人であることを隠そうともしていない。北野ワールドが全開。北野武のユーモアやニヒリズムに心酔できるファンであれば、きっと至福の映画体験となり得るはずだ。
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