せーじ

ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還のせーじのレビュー・感想・評価

4.3
337本目。
「中つ国」を舞台に、一つの指輪をめぐって紡がれてきた物語もいよいよ大詰め。旅の目的地に辿り着こうとしている主人公達、思わぬ敗北を契機に遂に本気にさせてしまった強大な敵勢力、そして・・・という三部作のクライマックスをようやく鑑賞することが出来ました。
鑑賞した感想はというと…





…ゴラムお前…となりましたね。
(以下、本文では直接的なネタバレはしませんが、物語構造などには触れていきますのでご了承ください)

■「原作」との関係について
感想を書くのが難しいです。というのも、この映画シリーズを観たということだけで感想を考えようとしてしまうとダイジェスト感がすごくて、正直なところ描写として物足りなく感じてしまう部分がどうしても出てきてしまうのですよね。一作あたり三時間、トータルで九時間以上尺があるのにもかかわらず、です。これはわかりやすい例で例えるなら『機動戦士ガンダムシリーズ』の劇場版が、もとのアニメシリーズや小説版などと比べると描写として駆け足過ぎてダイジェスト的に見えてしまうという現象や感覚に近いものなのではないかと思います。
つまり、この物語を細かいディテールまで味わい尽くしたいのであるならば「原作を読め!」ということになってしまうのですよね。それほど規模の大きい物語なのだということでしょう。ただしだからといってこの映画そのものがこの物語を語りきることを諦めている訳では無くて、背後にディテールを張り巡らしながらも、小説では絶対に出来ない「イメージの具現化」に全力を込めようとしているのではないかなと自分は感じました。そこが何よりこの三部作の素晴らしいところなのではないだろうかと思います。中つ国の自然が、フロドたちのビジュアルが、それぞれの国々のディテールが、合戦シーンの迫力が、そしてゴラムが、原作を読むことで抱くことが出来るであろうイメージから逸脱することなく忠実に「具現化」されているということ自体がそもそもとてつもない達成なのではないだろうかと思うのですよね。だから、たとえ観てきたものがダイジェストであっても、映像には出てこないディテールが「映像にはないけれど、隠れているだけ」だと思え、そう信じ切って観ることが出来たのだと思います。
もちろん本当に、膨大な量のディテールが作品の背後にあるのは言うまでもないことなのですが。

■ゴラムの「物語」、ゴラムと「物語」
そんな中本作は、オープニングから明らかにゴラムを軸のひとつとした形で物語を展開させていきます。『二つの塔』レビューでも書きましたが、彼が最も人間が抱く善意などからかけ離れた存在であると描かれているのですよね。しかも皮肉なことに、主人公であるフロドやサムたちとは表裏一体の存在であるということをわざわざ冒頭のシーケンスを使って描くわけです。観ながら思った通り、映画が進むに従ってゴラムは「指輪が欲しけりゃそうするよな…」ということを行く先々で色々とやってくれちゃったりして、これは最終的にはどうなるんだろうと身構えながら観ていたのですが…

「えっ、それだけ?」

最終的にゴラムがやらかす、ある重大な結末が起きたところまで観て、思わず自分はポカーンとしてしまいました。「これじゃあゴラムは意味なーいじゃーん、ダァメダァメ!」と思ってしまいました(古い)。自分は最終的な場面でゴラムには「一寸の虫にも五分の魂」的なアレをしてくれることを期待していたのですが、どうやらこの映画の作り手はそういうことをゴラムに託したかった訳ではなかったみたいで。なのでまるで映画に「バカは死ななきゃ治らないんだから仕方が無いよね」と言われた気がしてしまって、その時点ではクライマックスにおけるゴラムの描かれかたが不満に思えてしまったのです。

…でも、甘かったのですよねその認識は。
もちろん、そこにもキチンと「隠されていたディテール」がありました。例によってあとからさまざまな解説記事をネットで漁ってみたのですが、それを知った時に自分は愕然としてしまいました。「意味がない(ように見える)ゴラムの短絡的な振る舞い」にそういう形で「意味付け」が為されていたとは。。。それは例えるなら「情けは人の為ならず」的な概念であり、物語の流れの良さを優先して個々のキャラクター性を情緒などで過剰な形で捻じ曲げようとせずに、シビアな結末だけどより良い形で救ってみせたということなのだと思います。

そういったことを踏まえて、この作品は何を伝えようとしているのだろうかということを鑑賞してからずっと考えてみたのですが、突き詰めてしまうとこの物語の筆者であるトールキンは人間の「善意」と「悪意」、「強さ」と「弱さ」を題材にしてこの壮大な物語を作り上げ、ピーター・ジャクソン監督は映画として紐解こうとしたのではないかなと思いました。そして「すべての物事は繋がっていて、だからこそ繋がりを見落としてはならない」とも描こうとしたのだと思います。もちろん描かれている登場人物は人間ではない存在も数多く登場しますが、それぞれの登場人物に人としての美点もそうでない部分も作り手がキッチリと託して描いている様に見えたのですよね。その冷静でありながら余計な情緒をはさまずに、余すところなくフラットに人間性を見つめきる視点がすごく良いなと思いました。

■そのほか
ただ、ちょっと気になったのは「ガンダルフたちの戦い方、ヘタクソじゃね?」と思ったところですね。あれはあの国が内部から腐っていて…という背景がわかっていないと飲み込みづらい部分があると思うのですが、そもそもの話「こちら側のキャパでは明らかに対応しきれない敵のみなさんが迫ってきていますが、どうしますか」という画を延々と見させられ、そのうえそいつらにはとにかく真正面からぶつかるだけ…という図を何度も見させられてしまうと、さすがにちょっとな…と思ってしまいます。ガンダルフは魔法使いであるはずなのにほとんど魔法を使わないですしね。もうちょっと、こう、援軍がくるまでギリギリもたせることが出来るロジックだったり何かがあったほうが面白かったんじゃないかなと思いますね。そこにピピンが関わったりもして。でもまぁ「私は女だ!」というくだりはとても痛快でしたし、三者三様(もっとある?)のブロマンスはとてもよく描けていましたし、もちろん役者陣の演技はとても素晴らしかったので、全体的にはハラハラをしながらも没入感は半端なかったと思います。たぶんエキストラの規模とかは映像で抱く印象よりもはるかに小規模だと思うのですよね。撮影の工夫やVFX、そして編集の工夫でカバーしているのだろうなと思います。そういうところは日本の映画会社やテレビ局も、映画やドラマなどで少しは見習ってほしいものです。

※※

ということで、時間がかかってしまって申し訳ありませんでした!
三部作を一気に観るのは、いろんな意味で辛いとは思いますが、好きだな、いいなこういう物語と素直に思える作品だったと思います。
ぜひぜひ。
せーじ

せーじ