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女経(じょきょう)のkoyamaxのレビュー・感想・評価

女経(じょきょう)(1960年製作の映画)
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タイトルからして意味深め^^

社会と男に対して「女の生き方」で立ち向かう三者三様オムニバスです。

耳を噛みたがる女
物を高く売りつける女
恋を忘れていた女

サブタイトルも想像力を掻き立てられます^^


1作目は監督増村保造と若尾文子。
相手はお馴染み川口浩。
というかこれまでの初期若尾文子の相手は川口浩率かなり高し笑
騙し騙され。
「したたかさ」の裏には、「切なさ」の由来あり。
「それでも自分の道を往く」と不退転の覚悟に
ビターなハードボイルド感があります。


2作目は監督市川崑と山本富士子。
ミステリアスな前半と、後半の落差が白眉。
翻弄される船越英二自体がある意味見せ場。
女の虚像と実像のような感じもあります。
前半の夢みたいな掴みどころのない雰囲気は、漫画でいうと、つげ義春っぽいシュールさとエロさがありました。


ラスト3作目は監督吉村公三郎と京マチ子
前二作品の女性たちは基本的に「したたかさをいかに悟られぬか」という立場で振る舞っていたのに対し、京マチ子さんは、キャバレー、お茶屋の経営と、社会的に通用する実業家です。
前提としてしたたかさを兼ね備えていると言ってもいいかもしれません。

そんな京マチ姐さんが、色々あって、
損得を超えたところで「人の思い」に目覚めていく。

三作目は前の二篇からの転調のような展開。
ここで改めて提示される「お金?愛情?生きていて何が大事なのか」
ある意味ど直球な締め。ラストに相応しい展開とも言えます。


三本ともに
展開の意外性、映像美、女優たちの演技、それぞれ個性が際立っていて、かつ、三本揃うことで、女の生き様、俯瞰の物語になっているのも味わい深いです。
総監督みたいな立場の人はいたのでしょうか。


現代でリメイクするとなるとこのあたりの価値観は旧来のものとして跡形もなくなってしまうのでしょうかね?

わかりませんが・・。

ただ、60年以上経っても
あやや、山本富士子、京マチ子
三人ともかわよき、美しき、麗しき。

エンドロールがポップでかわよき。
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