ゆうすけ

そばかすのゆうすけのネタバレレビュー・内容・結末

そばかす(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

アセクシャル、アロマンティックの主人公を描いた作品。性的マイノリティに寄り添った映画は数あれど、そもそも恋愛や性に興味が湧かない人を描いた作品があったでしょうか。
恋愛という要素はあらゆるコンテンツの題材にしやすいもので、人間ドラマを描くなら避けては通れない程の力を持っているものですし、現実のコミュニケーションにおいても「恋愛はした方がいい」という価値観が氾濫していて、あらゆるシチュエーションで話題に上がります。
このような恋愛至上主義社会における彼らの苦悩をありありと描いています。

主人公の佳純は4人の人物と出逢います。お見合いで知り合った木暮、小学校時代の同級生で職場を紹介してくれる八代、中学校時代の同級生である真帆、職場の保育園に新しく職員として入ってきた遠藤。彼らは、佳純に多大な影響を与えます。

木暮は、佳純にアロマンティックな部分をより強調させる相手として登場します。彼は佳純とのお見合いの中で、恋愛が全てじゃない、今はしたくないと話しており、佳純にとって安心できる相手でした。しかし、仲良くなるにつれて木暮は佳純に恋愛感情を抱いてしまい、佳純は戸惑います。彼に告白されたあと、家に帰って家族からどうなったんだと聞かれると「別れた」と答える佳純。そもそも付き合ってすらいないのに「別れた」という言葉を使うのも、恋愛至上主義に侵された家族に“わかりやい“言葉を使って説明するこの息苦しさが、たったこの一言で感じられます。

八代は佳純にゲイであることをカミングアウトします。佳純も自分には恋愛感情が湧かないということを打ち明けようとします。小学生の頃に、男子に告白された時になんて答えたらいいかわからず、ただただ戸惑ったというエピソードを語る佳純。そんな彼女に八代は「そのくらいの頃はそういうもんだろ」と一蹴します。本当に何の気もない発言なのですが、これに佳純は違和感を覚え、自分のアロマンティックを打ち明けるのをやめてしまいます。
この八代の発言には「恋愛なんて“小学生の頃には“わからないのが当たり前。今は違うでしょ」という含意があります。佳純は、恋愛感情がないことを話したかったのに八代は当時わからないのは当然でしょ、という佳純にとっては筋違いなフォローをしている。それもそのはず、ゲイだってただ恋愛対象が同性なだけで、恋愛はするんですから。
そして、その発言をゲイ役にさせているのもかなり挑戦的だなと思いました。昨今の作品ではマイノリティ側で描かれているゲイを、恋愛至上主義という観点においてのマジョリティ側で描くというこの脚本、すごい。

そして真帆。彼女は本作のキーマンなのですが、佳純に気持ちを訴えることの大切さを教えてくれます。
彼女は父親が政治家で、その父親は佳純の保育園で彼女の発表を聞いていました。その発表とは、アロマンティック(というより、むしろフェミニスト的)な内容に改変したシンデレラのデジタル紙芝居。しかし、真帆の父親は彼女のその作品に異議を唱えます。「変わった価値観を植え付けるのは、どうなのか。ちゃんとした価値観を知ってから多様性は学べばいい」と。ここの発言にはイライラさせられるわけですが、その話を聞いた真帆は父親の街頭演説に出向いて叱責します。ここのシーンが本当に良い。ボロ泣き。
ここで、中学校時代にストパーを当てた佳純を叱った先生に「何が悪いんだ」と代わりに反抗してくれた真帆のエピソードが重なります。うまい。
そして彼女と出会ったことで学んだ「伝える」ということ。佳純は、音大卒でチェロ弾きでした。チェロは、人間の声に一番似ているという話が出てきますが、佳純は真帆の結婚式の友人代表のスピーチでチェロを弾いて以降はチェロをやめると。チェロは彼女の気持ちの代弁者でありましたが、もう彼女にはその媒介は必要でなくなったことを示唆しています。

そしてやっと理解者の遠藤と出会う。彼は佳純のデジタル紙芝居を観て、自分と同じ価値観を持っていることに安心をしたと語ります。彼と別れた後、佳純は急に走り出します。ここも、作中で何度か話題に上がる映画『宇宙戦争』(2005)が重なります。佳純は、この映画のどこが好きかと聞かれて「トム・クルーズが他のアクション映画とは違って、走って逃げ続けるところが好き」と語ります。つまり、何かに“向かって“走っているのではなく、何かから“逃げて“走っている、と。それが自分と重なると。しかし、最後のシーンはずっと逃げてきた何かから解放されたような笑顔で、何かに“向かって“走っているような気が。もう『宇宙戦争』に惹かれることも無くなるのかな。

何より一番の人格者は、佳純の父親。彼は、佳純に何も強要しないし、恋愛の話題も振らない。ただただ佳純の側にいてサポートしている。ちゃんと佳純を個人として尊重して、人対人のコミュニケーションをしている。ああいう人ばかりだったら、優しい世の中になる気がする。

このように脚本が素晴らしいのはもちろんのこと、カメラワークも秀逸でした。会話の途中に人や物の後ろをグルーっとカメラが回って、別の角度でその会話をとる。すると、その会話の中で起こっている佳純の中の感情にグッと焦点が当たります。これ本当にすごい。さっきまでは客観的にその会話を聞いていたのに、カメラが角度を変えると急に主人公に感情移入をさせられる。技術と演技がすごいですよ、ほんと。
ゆうすけ

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