シムザスカイウォーカー

理想郷のシムザスカイウォーカーのレビュー・感想・評価

理想郷(2022年製作の映画)
4.4
映画館を出て、ポスターをじっくり見ていたら「実話を基に制作」との文字を見つけてしまい肝が冷えた。恐ろしすぎるだろう…

映画ではフランス人夫婦がスペインの小さな村に移住するという設定だったが、実際に起きた事件の移住者はオランダ人夫婦だったそう。この変更は、主演のドゥニ・メノーシェ曰く、亡くなられた方への敬意として、実際に起きた事件とは切り離す意図があったとのこと。

実際の事件は2010年に事件が発覚、兄弟が逮捕されたのが2014年、裁判が終わったのは2018年でそれぞれ10年程度の禁固刑と村と妻への接近禁止令が出された。

コロナ禍でリモートワークが浸透し、田舎でスローライフを送りたいという人も増えた昨今、とても他人事ではいられない。かくいう私も田舎に移住したいと思っているひとりだ。

外から来たものは長く住む人間の意見を聞いて当然だろうと考える地域住民と、知識のある自分が最良のものを示せば理解してもらえると考える移住者。分かり合えぬ両者の平行線の会話と、殺気を感じながら生活するアントワーヌとオルガの緊張感が観る者の体をこわばらせてゆく。

移住者夫妻は、様々な場所を実際に見て"選んで"その街に来ただろうけれど、貧しい兄弟は街に出たくても出られず、より良い暮らしを得る術も学もない。機会の不平等や経済格差が埋めようにも埋められない深い溝を作っていただろうし、立場の違う両者には村が全く違うものに見えていたに違いない。

田舎出身の私は、村の兄弟の心情が分かる部分もあった。例えば、アントワーヌが村のことを「故郷」と呼んだところとか上部だけ掬い取っているように感じられた。イラッとしただろうなぁ、、

兄弟たちがやったことは120%許されないことだけど、アントワーヌにとって村の兄弟が脅威だったように、兄弟にとってもアントワーヌが脅威だったのだろうと想像すると、ただただ悲しい。

森で揉み合うシーンでは主演のドゥニ・メノーシェが失神してしまうというハプニングもあり、撮影も過酷だったことが窺える。

2部構成の今作は、後半でオルガの視点に切り替わる。驚きなのが、事件直後の描写がバッサリ切り取られていること。その時間の経過は、兄弟たちから攻撃されるかもしれない状況で忍耐強く堪え続けたこと、諦めずに夫を探し続けたことを示していて、その全てがアントワーヌへの愛情の表れだと気付く。ロドリゴ監督の構成の妙だし、観る者はオルガへの尊敬の念に堪えない。

アントワーヌが躍起になりビデオカメラで撮影するのを、オルガはやめるように促すけれど私にはその理由が分からなかった。相手を刺激しないためかと思ったけれど、私が当事者ならば誰が見ても危険行為をする証拠を集めたいと思う。

話が進むにつれ、過去の回想の描写が挟まれ、アントワーヌが使っていたビデオカメラは、隣人との楽しい食事を撮影するのに使っていたものだと分かる。オルガは楽しい思い出を残すために使っていたビデオカメラを、忌々しい兄弟たちを映すことに使いたくなかったんだと気づいたときただただ涙が止まらなかった。。