シムザスカイウォーカー

哀れなるものたちのシムザスカイウォーカーのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

あまりにセックスシーンが多くてちょっと引き気味だったんですが、エマ・ストーンもプロデューサーとして参加してるんだった!と思い出して、この描写も後々響いてくるのねと信じて鑑賞しました。

女性が体を売る、年配の男性に搾取されるということを嫌というほど見続けて、その醜悪さに激しい嫌悪感を覚えた。男性たちが作り上げた社会で女性が自立して生きてゆくためには、セックス(男性に媚びへつらうことやありとあらゆる接待)を伴わなければならないという皮肉。

"多様な人と関わることで価値が見えてくることもある"ということを、娼婦になってダンカン以外の男性とセックスすることで知るとは…!皮肉が効きすぎていて、思わず声を出して笑ってしまった。

「たどたどしい話し方が良かったのに」

知識も経験も教養も身に付けたベラに対して、ダンカンが吐き捨てた言葉。つまりは女に学があると自分の"物"として所有できないから面白くないと言っているのだ。

悲しいことに女として生きていると大なり小なり"物"として扱われることは少なくない。飲み会で「女性がいないと華がないからさ」と呼び出されたり、先日も仕事上で目上の男性にプレゼントを渡す役割を男性にお願いすると「こういうのは女性から渡した方がいいんじゃないですか?」と返答された。お飾り、賑やかしの存在。女は男を喜ばせるための"物"なのだ。

自分の思い通りになると思っていた物(女)が思い通りにならないと分かると、ダンカンは子どものように暴れ回りまさに哀れの一言。世界の見聞を知る大人の男性だと思っていたダンカンが、大した人間ではないと知るや、とっとと見切りをつけたベラ。

ベラが知識を獲得し、社会常識を知り、教養を身につけていくと同時に、私たち女性は社会常識の規範に押し込められているがために不条理を受け入れざるをえないのだと気付く。

無鉄砲な行動の数々が知性がないが故の無敵感と自己肯定感だと思っていたが、知性を獲得した後のベラも自分の発言や行動を当然のこととして疑わない。

当初は世間知らずのベラを笑っていたのに、誰かに蔑まれることを許さない、自分が価値のある人間だと微塵も疑わず、男性たちからの抑圧を跳ね除け、自分が思う人生を歩むことに躊躇いがない。そうした姿が胸を打つ。そして観るものの胸に問う。自分自身が女性を低い存在、劣った存在として扱ってこなかっただろうかと。

決して万人受けではないものの、私はヨルゴス・ランティモス監督の表現が好き。自分自身の人生を歩むことを当然と思っている、疑いのないベラのその態度と眼差しが私たちに思い出させてくれた。