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荒野に生きるのsleepyのネタバレレビュー・内容・結末

荒野に生きる(1971年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

神との和解****





いたるところに宗教的イメージを散りばめ、ループ構造をもち、多様な解釈が可能で眩惑的だった『バニシング・ポイント』。一見、破滅的な反逆ヒーローを描いたニューシネマに見えながら、メビウスの輪の発想を取り込んだSFマインドも匂わせるゴースト・ストーリーともとれ、民衆と体制の両面からみた理想像と異物たるニューカマー、実はどこにも存在しない男の寓話、あの時代の姿なき声を体現した多面的な傑作だった。

この監督、リチャード・サラフィアンが同1971年に撮りあげた異色作が本作。舞台・時代は19世紀開拓初期の米北部、いわゆる西部劇の体裁を採っている(ともいえる)。山系に手負いで置き去りにされた通商遠征隊(以下キャラバン)の猟師・ガードマンである男が、厳しい大自然を生き抜くサバイバルであり、自分を置き去りにした隊長への復讐譚であり、血縁と精神的靭帯で結ばれた2つの父子の物語であり。この生と死、喪失と再生を巡る骨太な物語はどこか神話を思わせる。『バニシング・ポイント』同様、多面的作品であるが、とりわけ強調されているものが、全編を覆う宗教的イメージ。

1820年。隊長ヘンリー(映画監督のジョン・ヒューストン。怪演)率いるキャラバンは毛皮を求めて白人未踏の米北部をまわり、雪深くなる冬が来る前にミズーリ河に到着しようと苦難の旅を続けている。多くのラバが引く巨大な荷車に載せた木造船を曳航させながら・・。冒頭、木立の中を進む木造船が異様な光景で目をひく。白人からみて(隊長いわく)「pagan異教徒」たるインディアンの海を切り裂く船のマストは十字架のようであり、対インディアンの大砲を積んだ船の甲板に立つヘンリーはある人物を思い出させる・・。

ハリス扮する隊の猟師ザック・バスは狩りの途中でグリズリーの襲撃を受け、手ひどい傷を負う。熊は銃殺されるが、ザックは意識を失う瀕死の重傷。隊長ヘンリーは穴を掘り、聖書を握らせたままザックを置き去りに。彼はなんとか一命をとりとめ、回復へと向かう。自分を捨てた隊長への復讐を胸に秘めて・・。瀕死のザックは遠のく意識の中、繰り返し過去を夢で見る。このあたりから作品は宗教的なイメージを噴出し始める。

★以下、内容に触れています。
* ザックのキャラクターと宗教的イメージ
孤児院である神学校で、「世界を造り給うたのは誰か?」という問いと体罰を執拗に受ける心を閉ざしたザック少年。振り下ろされるタクトの背後の十字架。母の死と葬儀、置いてきた敬虔なキリスト教信者らしき妻。くどいくらいに人々が(特に隊長が)口にする聖書の文言、祈り。辛苦を経たプア・ホワイト放浪者となったザック。神を遠ざけ、厭世的になっていることが夢まぼろしから示される(I never much agreed with God’s will)。荒野でのサバイバルで火を起こすのに聖書の頁を引きちぎり着火紙にする描写もあり。

* 隊長のキャラクターとザックとの疑似父子関係
ザックは青年時代から隊長と行動をともにしていた。隊長はザックを息子同様に育てながら、死ぬとわかれば置き去りにしてしまうという二面性を持つ。神を称え祈りながら(ピューリタンか)、他方でアリカラ族をビジネスの邪魔者として容赦なく攻撃するいびつな信仰。極悪人でも偽悪者でもない得体の知れない現実主義者として描かれる衒いなき静かな巨人
(You’ll learn that man is expendable. Man must be prepared to sacrifice)。
隊長を演じる巨匠監督ジョン・ヒューストンが、そこらの俳優がかすむほどの不気味さと存在感で隊員と観客を飲みこむ。本作では少しだけポランスキーの『チャイナタウン』のノア・クロスを思わせ。親子関係と、自身の行為に一見無自覚・無反省な深き業。多くを語らず、そのルーツや2人の詳しい過去は観客に委ねられる。「堕ちた偶像」テーゼでもある。

本作はザックから疑似父である隊長への復讐譚でもあり、オイディプースか?と思わせるが、ヘンリーの一番近いイメージは自身監督作『白鯨』のエイハブ船長。曇天の空の下、荒野を進む船の甲板に立つゴーストみたいなシルエット。思えば映画『白鯨』も宗教的カラーに覆われた作品だった。

* ヨナ書のイメージ
さて『白鯨』や船、数々の宗教的イメージから頭に浮かんだのが旧約聖書の「ヨナ書」。神から「逃亡中」のザックは「船」から放り出されるが、懐深き大自然や洞窟は大魚の腹の中みたいに彼を包み込み、恵みを与え、救う。回復した彼の中に変化が生まれる。選ばれし民という考えの否定、隊長のいうpagan,異教徒(アリカラ族)とキリスト教の世界を行き来する主人公。異邦人の方が(神は違えど)深い信仰心を持っており、むしろキャラバン隊が、口では「神の意志」とは言いながら罪深き迷える人々のように見えないこともない。

* 神との和解?と巡礼の終了
I’ve got a son out there. I’m going home to find him. I’m going home…といい、復讐心を捨てるザック。これにはいくつかの原因らしき事柄がある。死から生還したこと。大自然の恩恵。そしてアリカラ族の娘が林の中で1人で子を出産するのを目撃したこと。去来するのは長年一度も会ったことのない我が子か。終盤では捕まえたウサギを飼い、なんと聖書の読み聞かせまでする(これを聞くウサギの名演技?)。

人生の密航者ザックは実父を知らず、子を捨て、疑似父と出会い、捨てられ、結局さまざまな体験をして隊長と会いまみえる。そしてザックは彼を許し訣別することにより、実の子のもとへ帰還する。「息子に会いたくないの?」と訊いた妻の母に「No, not now. One day maybe」と言ったが、その時が来たのだ。父から離れるまで本当の父になれなかった男。仮のルーツを持つ男が真のルーツを手にし、それを引き継ぐ・・。彼の巡礼はこうして終わり、民が解き放たれたみたいにこのキャラバンも終了。

やや唐突な終わり方ではあるが、本作は神から逃亡したバガボンド(あるいはピルグリム)が神と和解し「帰郷」する物語、2組の父子の継承の神話。★

* リチャード・ハリス
彼ほど多くの映画で血まみれになり打ちのめされ(そして這い上がる)役どころを演じた役者は珍しいかも知れない。いつも途方もない倦怠、疲労、徒労感が全身から立ち昇らせている。ここでもその被虐演技は冴える。

* 自然描写の美しさ
画調・アングルとも素晴らしい。光あふれる朝の林、夕べの残光、朝もやにつつまれた河辺、峻厳な雪の山脈、空に舞う雪、多くの鳥たち。夏から秋、冬へと変わる空や山の描写。望遠やロングショットを巧みに使う名手ジェリー・フィッシャー(『恋』『できごと』『見えない恐怖』『ウルフェン』等)に拍手。

つまり傑作。言葉がその役柄を物語り、行動が映画を前に進める。画が語る。これは観るべき映画だ。

★オリジナルデータ
原題:MAN IN THE WILDERNESS, 1971, US, WB、104min. オリジナルアスペクト比(もちろん劇場上映時比を指す)2.35:1 Panavision (anamorphic) , Color (Technicolor), MONO, ネガ、ポジとも35mm
他サイトの自身のレビューを編集したもの。
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