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君たちはどう生きるかのkuuのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.8
『君たちはどう生きるか』
映倫区分 G 
2024年ゴールデングローブ賞受賞~
製作年 2023年。上映時間 124分。
スタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮崎駿。
2013年公開の『風立ちぬ』を最後に長編作品から退くことを表明した同監督が、引退を撤回して挑んだ長編作品。
宮崎監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーとなり、タイトルは、宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』から借りたものとなっている。
宮崎駿監督は当初、東京オリンピックの開催に合わせて2020年夏に完成・公開する予定やったが、コロナ禍により2021年まで延期されたそうで、また、当初は宮崎駿監督に正式な許可を得ることなく2016年にこの映画の製作を開始したそうな。

世界で最も愛されている映画監督の一人であり、その名声と世界的な名声は半引退後も高まるばかりと云える宮崎駿。
その映画を意図的に謎に包んで、観客が何を期待していいのかわからないような映画を出すのであれば、なおさら多くの方が興味をそそられた。
しかも、アニメ界の巨匠スタジオジブリの共同設立者として有名な宮崎駿は、日本でそれをやってのけた。
結局のところ、彼の新作アニメ映画『君たちはどう生きるか』は、その前に行われたマーケティングキャンペーン(あるいはその欠如)と同じくらい、観終えて思うんは謎に包まれた作品になんかもしれない。

※⚠️
今作品の性質上、つまり、ジブリがこの映画を見る前に、その映画についてできるだけ知らないでいてほしいと思っている映画であるため、感想を書くのは少し難しいし、小生、愚か故、万が一ネタバレに抵触してるやもしれません。
しかし、ネタバレボタンを押さずに敢えて投稿してますし、もし、まっさらで今作品に挑みたいてお望みでしたら、スルーして頂ければこれ幸いです。



今作品の雰囲気を端的に伝えるなら3つ。
ミステリアス、
ゴシック、
儚い。
これらの言葉はすべて、これまでのジブリ作品や宮崎作品の側面を説明するのに使うことができる。
しかし、今までの宮崎映画で感じなかった"圧迫感 "が個人的にはある。
今作品は、主人公たちの足元がいかに不安定であるかという点で、ほとんど抑圧的と云える。
世界は精神的にも肉体的にも混沌としているという深い感覚がある。
我々が知っているものすべてが、今にも崩れ落ちそう。
もちろん、これは吉野源三郎(岩波少年文庫の創設にも尽力した、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト)による1937年の道徳小説からタイトルを取ったこの映画の名前とよく一致している(小生既読)。
映画化ではないこの映画は、これまで示唆も否定もされてきたように、その本に関わっているんか?

今作品を見ていると、宮崎監督がそのコンセプトについて考えていることがよくわかる。
暴力と不安が渦巻くこの世界で、我々はどないして生きていけばいいんか?
子孫に何を残すのか?
私たちにこの世界を残してくれた先祖と、我々はどう関わっていくんか?

宮崎監督は、地球が再び崩壊の危機に瀕しているように見える今、自分がこの存在する平面を去ろうとしていると感じている。
なら、彼は残された人々に何を伝えるんやろか?

これ以上論じるには、プロットと設定の軽い説明(ネタバレ)に入らなければならないんだなぁこれが。

今作品が壮大なファンタジー大作であることがアチコチで語られる中、第二次世界大戦時の日本でこの映画が始まると、少し戸惑う。
思春期の少年牧眞人は、戦争で荒廃した東京を離れ、父親とともに田舎へと向かう。

これは宮崎自身の子供時代と重なる。彼の父親は飛行機のエンジニアで、一家は戦時中、東京から田舎っぽい宇都宮に移り住んだ。
前作『風立ちぬ』と同様、宮崎監督は明らかに自身の生い立ちを振り返っている。

自分自身のトラウマに苦しむ牧眞人は、近くの池に生息する青いコウノトリに取り憑かれていることに気づく。また、地元の森にある謎めいた塔も彼を誘う。その塔に入る理由ができたとき、彼は勇敢にもその塔に入る。
そこには彼の想像を超えた世界が広がっていた。

影、
響き、
そして星の光。
この描写には、多くの過去の宮崎映画の響きがある。
映画内のシーンや設定も、宮崎映画の定番の多くを思い起こさせる。
しかし、今作品を際立たせているのは、トーンとテンポかな。
後者は驚くほどのんびりとした印象で、主なアクションが始まるのは45分くらいから。
ノスタルジックでありながら別世界のような空間を作り出す宮崎監督独特の才能に恥じない設定と建築の中に、優れた舞台装置が配置されている。

映画のトーンとしては、ほとんどゴシック。
ジブリを語れるほどツーではないが、これほどよそよそしく、気難しく感じるジブリ映画は見たことがないかな。
ほんでもって、実際、今作品の一部は宮崎映画の中で最もとっつきにくい作品と云えるかもしれない。
グロテスクでベタベタしたものが好きな宮崎監督の性癖は、これまでの多くの作品でも見られたが、この映画でも際限なく発揮されていました。

しかし、その一方では、この世のものとは思えないような、そしてこの世のものとは思えないような美しさを表現する彼の映像センスもある。
ジブリのプロデューサーであり、常に宣伝マンである鈴木敏夫は、ここではパートナー企業や金銭的な見返りを求める欲望に縛られることなく、宮崎は思いのままに映画を作ることを許されたと語っていた。

その結果生まれたをは、バカバカしくも脅威的な、驚くようなセットや生き物の数々。
幽霊が出るような平原、夢のような苔むした建物、暗い廊下の奥にある得体の知れない深い場所など、かつてないほどたくさん登場する。

これらのイメージは、勝手なイメージやけど宮崎らしからぬもの。
宮崎駿の作品の多くで4、5回見られるような、象徴的で深い影響を与えるイメージを想像してみてほしい。
おそらく個人的に少し失望させたのは、これまで以上に幻想的なこれらのイメージが、非現実的と感じられる場所に縛られていることやと思います。
鳥が飛び交い、論理を無視した冥界の空間は、把握するのが難しい。
もちのろん、これは意図的なものやろうとは思うが、しかし、初見では、観る者に身動きの取れない感覚を残す。

宮崎監督の大ファンやと豪語する映画評論家、故ロジャー・何チャラってオッサンは、『ハウルの動く城』で宮崎監督の魔法が少し失われたと感じたと語っとった記事を目にしたことがある。

年老いても若くても、ソフィー・ハッターはこの世界を理解し、馴染んでいるようには見えない。
宅配便のキキや『千と千尋の神隠し』のヒロイン、千尋とは違って、彼女はヒロインというより目撃者のよう。
奇妙なキャラのオンパレードが舞台に登場し、それぞれの出番をこなすが、その根底にある筋書きは不明瞭になり、宮崎映画としては驚くべきことに、意味のないスペクタクルに焦りを覚える。
怒るほどではないが、『ハウル』の方がずっと好きかな。
彼の云いたいことはなんとなくわかる。
『千と千尋の神隠し』は得体の知れない神々の世界やった。
しかし同時に、そこにはルールがあるように感じたかな。
銭湯には物理的にも社会的にも構造があった。
しかし、もし『ハウル』の混沌とした設定に問題があったとしたら、『君たちはどう生きるか』の限りなく漠然とした鳥の世界をどう感じるやろか。
今作品のこの側面に苦労したことを認めなければならない。
たしかに、宮崎ワールドの生活感やリアルさが大好きです。
ポポルコのアジトがあるアドリアディックでも、もののけ姫のタタラ場と呼ばれる、鉄を作る村でも、これらの設定は心の中に生き続けている。

今作品の冥界には構造がなく、知ることのできるものが何もないためは少し冷めてしまった。
しかし、今作品についてもう少し考えてみると、浅はかながら、すべての意味が見えてくるような気がする。

今作品は何度も観ないと理解できない映画だと思うけど、しかし、なんちゅうか、
スローペースと夢のような悪夢のような。。。
非現実性から、一般の観客にはハードルが高いかもしれない。
しかし、今作品のエンディング・セクションは、物語の大部分をまとめ上げ、力強く物語を締めくくっている。
久石譲のやや控えめなスコアが盛り上がるにつれ背筋が凍るのを感じた。

思えば今作品の公開に向けた準備は、これまでにないものやったと云える。
どのスタジオの大作映画も、予告編、ティーザー、クリップなど、数多くの宣伝なしに公開されることはあまり考えられない。
しかし、宮崎監督の10年ぶりの映画は、ティーザーポスター1枚を残すのみで、何の宣伝もされていなかった。
鈴木敏夫はこの方針を打ち出した。
鈴木敏夫は、現代の映画産業は宣伝キャンペーンで多くを与えすぎていると感じていたに違いない。
宮崎自身もこのアイデアに魅力を感じ、ゴーサインを出したんやろな。
しかし、公開日が近づくにつれ、宮崎は鈴木に不安を訴えたと雑誌の記事にあった。
これまでジブリ作品のほぼすべてが、公開年ごとに日本発の興行収入トップを記録してきた。
ジブリ作品に期待する観客がいなくなった今、この戦略は本当に成功するのだろうか?って不安からやろな。

今作品のポスターには、ぼんやりとした鳥人のようなものが描かれている。 
ファンはこのイメージが何を表しているのか、何カ月も気になっていた。 
その答えは...控えめに云っても興味深いものなんは確か。
アチコチでこのクリーチャー全体を想像したバージョンが投稿されてた。
ファンやオブザーバー、そして、おそらく監督も、鈴木の戦略的思考に疑問を抱いていたやろけど、実際のところ、彼はマーケティングの魔術師なんやろな。
NHK党立花が選挙の魔術師と同じ感じかな。
全体の反応を測るのは難しいが、フィルマークスを観る限り今作品の投稿数は鰻登りでのびてる。

ノー・プロモーション・マーケティングは、『君たちはどう生きるか』を初めて観る人にとって、祝福でもあり呪いでもあると感じる。
そのおかげで、すべてのビジュアルとストーリーの移り変わりを、ますます希少になった、まっさらな状態で体験することができた。
何が待ち受けているのか全く分からない状態で信じられないようなビジュアルを見るのは素晴らしいことやった。

しかし、今作品に関する非常に限られた情報が、おそらく、今作品に期待したギャップを埋めることを可能にしたようにも感じる。
初見では個人的にジブリを愛してやまない確かなストーリーテリング、世界観、感情の高ぶりを見逃してしまったかな。
一方、映像や深いテーマが沁み込んでくるにつれ、『君たちはどう生きるか』がジブリのカタログの中で唯一無二の存在であることを評価している自分がいる。

今作品は宮崎監督は孫のことを考えて『君たちはどう生きるか』を作ったと云われてる。
友人の幼い娘のために『千と千尋の神隠し』を作ったように、あるいは幼い子供のために『ポニョ』を作ったように。
今作品が、その道徳的な名前の由来を想起させることは明らかかな。
主人公は揺るぎない勇敢さと堅実さを備えている。
彼は非人間的ではないが、宮崎監督が云うところの、現在の世界における若者のあるべき姿を示している。
崩壊していく世界、それを作り直す義務があなたにはあるかもしれない。

今作品は宮崎監督の個人的な映画である。
卓越したプロダクション・バリューにもかかわらず、インディーズ映画のよう。
ブレイクしようとか、大衆にアピールしようという気はさらさらないよう。
しかし、この映画が持っているのは、未知の世界と、その中で生きていかなければならない若者たちへの深いメッセージなんは確か。

もし、これが本当に宮崎監督の最後の作品だとしたら、そのメッセージに、そして何十年にもわたり世界最高のアニメーション作品を作り続けてきた宮崎監督に感謝するしかない。
スタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮崎駿。2013年公開の『風立ちぬ』を最後に長編作品から退くことを表明した同監督が、引退を撤回して挑んだ長編作品。
宮崎監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーとなり、タイトルは、宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』から借りたものとなっている今作品をまた改めてじっくり観て感想を書きたいかな。
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