フラハティ

殺人に関する短いフィルムのフラハティのレビュー・感想・評価

殺人に関する短いフィルム(1987年製作の映画)
4.0
僕の名前を誰も呼ばない。


「暴力という行為をただ描いた。」
三人の男が一つの殺人に繋がっていく。
それは運命か。
ただの暴力か。
そういえば運命についての映画を最近観たが、本作もそう思う。

決められた運命の中で、自分の手中にあるのは絶望だけ。
おそらく、この世界そのものが僕を拒んでいるのだろう。
言いようもない苦しみは誰にも伝わることは許されず、すれ違う人々は心も通わない。
あの子たちが笑っている瞬間、嬉しくもなり虚しさも残る。
消えていく視界と、黒く塗り潰される現実。


冒頭からイメージされる“死”というイメージ。
ポーランドの暗い過去が推察される雑多な街並み。
フィルターがかかった世界に希望は見出だせないが、また違う人間には希望に溢れた未来がその目に映る。
同じ人間でも、導かれる華やかな世界があれば、暗くどんよりとした世界がある。

「あのとき僕が何かできれば変わっていた。」
人生というものは結局この連続で、どうにもできない事象に対し、何でもなかったと思ってしまうことが多い。
弁護士は決して正義であるわけではなく、人としての正義というのも正解はないのだろう。
善と悪の境界線の先にまだ光があるのなら、その未来に賭ける。
きっとそれは人としての行いと、大義としての正義を己のなかに信じているから。
人間の本質的な優しさが垣間見えるが、同時に傲慢さや暴力さが描かれることで、形式化していく社会。
あのとき呼んだ名前を忘れたくはない。


殺人が行われた事実は変わることはない。
なぜこうなってしまったのかを環境のせいにしたとしても、結局は自分が起こした行動であり、それは暴力に起因する。
本作のラストで加害者に同情するのは違うだろうし、運転手に同情するのも違う。
社会を公平に見ようとも、違和感が心を離れない。
その違和感の原因は、これはただ暴力を描いただけだからなんだと思う。
正義とは一体何だろうとか、運命の悪戯とかそんなものは人間社会には存在しない。
そこに殺人に関するフィルムが羅列されているだけ。
人間が存在する限り、このフィルムは永遠に続く。
フラハティ

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