殺人に関する短いフィルムの作品情報・感想・評価

殺人に関する短いフィルム1987年製作の映画)

KROTKI FILM O ZABIJANIU

製作国:

上映時間:85分

ジャンル:

3.8

「殺人に関する短いフィルム」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

ある女性に思いを寄せるタクシー運転手。
誰かを殺したいという衝動に駆られる青年。
青年が殺人を決意したカフェで、
司法試験合格を恋人に知らせる若手弁護士。
青年の恋人的存在である、ある女性。

青年はタクシー運転手を殺し、
ある女性に車が手に入ったと知らせに行ったことで、
自分に好意を寄せるタクシー運転手のものであることに気づき、
若手弁護士が青年の弁護を担う。

すべての出来事が、偶然のように、必然のように交わり、
結末へ向かっていく。

皮肉にも、自分が犯した罪と同様の方法で、
最後は死刑になる青年。

どんな偶然が重なった先にも
殺人に行き着いてしまうのは悲しいし、
許されないことであると思わされる。

自分が犯した罪と同じ方法で
死刑になる法律があったらいいのに、
などとも思ってしまいました。

殺人を犯す少年ヤツェク、殺されるタクシー運転手、ヤツェクを弁護する弁護士ピョートル。

運命とはとても残酷なもので、なぜかこの3人が暴力と殺人で結びついてしまう。
どうしてヤツェクはタクシー運転手を殺したのだろうか。なのに、ヤツェクは死刑。
人の人に対する暴力と、抑制するための暴力。

脚本を書いたピェシェヴィチはピョートル目線だったのだろうなと思いながら...死刑執行の時のヤツェクの芝居にやられました。
600枚ものフィルターを使っただけあり、幅のある面白いショットばかり。緑に青に...その中の赤がやっぱりキェシロフスキだった。もちろん、天使探しも👼
その瞬間に一欠片でも愛があったならという寂れた街に転がる小さな歪みの断片的記録である前半から、愛を信じる若き弁護士を通して刑執行までの段取りを丹念に説得力をもって描く集積的記録である後半へと渡るフィルム。音、目線により紡がれる前半の構成力もさることながら後半の不安定な骨太さも譲れず鮮烈で素晴らしいし、全編に渡るきれいな液体が出てこない絶望とした空気感がこれまた最高。前景をピンボケさせた印象的な画の数々は是非とも真似してみたい。
古池

古池の感想・評価

4.3
漫画版ナウシカのミト爺になら「優し過ぎて身を滅ぼしかねん」て言われるだろう弁護士と、同情に足る背景もあるけれども、随分と虎視眈々と狙ってましたよね……?あれ、衝動的ですか……??な殺人者と、ふてぶてしい被害者。
絵本のような色褪せた写真のような色彩の映像。
うわぁ……と思いながらも二回も観てしまった。一回目は、ちょっと朦朧とした意識で観ていたから見返して良かったけれど、これをあまり間を空けずにもう一回観ようとするなんて、自分も図太い人間なんだろうか……と妙な罪悪感めいたものに苛まれたりもしました。
ポーランドのテレビドラマのシリーズ5作目を再構成したリメイク作品らしい宗教的な観念もある作品

映像がとても特徴的
1作目のシリーズから見たくなる独特の雰囲気を持っている

好きな人はめちゃくちゃ好きってなりそうなやつ
McQ

McQの感想・評価

3.6
独特な色合いの映像はネガフィルムの一コマ一コマが動いて喋ってるかの様。。

最後まで観て冒頭のにゃんこの◯◯◯◯を思い出しゾクっとさせられた。

にゃんこ好きは注意!と伺っていたけど、シルエットだけだったのでセーフ、、笑

描かれる2つの「殺人」はスナッフフィルムかと思う程リアルで
観る人によってはトラウマレベルではなかろうか。。

殺す男(ヤツェク)
殺される男(タクシー運転手)
弁護士(ピョートル)

この3人の視点で描かれる殺人に関する物語。

1つ目の殺人は何故??
という部分はヤツェクの告白によって感じとる事は出来るけど、殺人を犯した身でなければ、到底理解出来るものではない。(正直、同情の余地はない)

2つ目の殺人はなるべくして事務的に速やかに決行!

、、、、本当に「なるべくして」なのか?

ここにきて強烈な違和感が、、
1つ目〜2つ目へのスパンの短さが語るメッセージ。

「殺人」には色々な形があり、それらについて考えたくはないけれど、嫌でも考えさせられる濃厚な作品だった。
デカローグ第5話の劇場版。
衝動殺人により出会うはずのなかった3人の男が絡み合う衝撃。殺人を犯した人間は法的に殺される、それもまた殺人だが、後者は裁かれることの無い殺人…何故なのかそれが正しいのか疑問を問われる。
車の中にぶら下げられた不気味な
天狗のような男の顔のキーホルダーがヌメヌメと揺れる。振り子のように。運命を楽しんでる。

過去は現在に大きな影響を及ぼしている。このことからは逃れられない。見た過去、聞いた過去、言った過去、すべては今に繋がる。残酷な過去は残酷な現在に繋がる。それでも振り子は揺れる。
LEONkei

LEONkeiの感想・評価

3.3
この映画を観て物語が進むにつれ、ニュースで知ったまったく別の事を頭が過ぎる。

そして、居たたまれない気持ちがフツフツと沸き出してきた。

人が人を殺すという事は映画の中では当たり前のように表現されているが、それは映画の中のフィクションだからこそ割り切って楽しめるものである。

現実社会では日々世界中で殺人事件は行われてるだろうが、その中でも理不尽でやるせない殺人がある。



この映画もそんな殺人をテーマに〝クシシュトフ・キェシロフスキ〟の独自の映像と解釈によって、殺人者の末路が描かれる。

弁護士を志すピョートル、街を彷徨う青年ヤチェック、そして偏屈なタクシー運転手。

こうなっていたら、こうなってはいなかった…歯車が狂いだし3人が1つに重なったとき悲劇は起こる。

この映画の〝キェシロフスキ〟の映像も独特で、陰影表現が極端なほどに存分堪能できる。

影によって見え隠れする表情は、たとえ観ている側に顔が見えなくても意思が伝わる。(或は考えさせられる)

目を覆いたくなるような残酷なシーンもあるが、どこか張りつめた空気が常に漂う映画でもある。

人間が完璧でない事は分かっている、そう分かっていても何故そこまで残酷になれるのだろうか..★,
あるひとの名前を声に出してみる。

好きな人、憧れの人、怖い人、憎い人、不思議な人、少しだけ触れ合った人、遠い人、近い人、親、兄弟姉妹、親戚、祖父母、先輩、後輩、上司、部下、もう関わり合いたくない人、もっと話しておけば良かった人、罪悪感を感じる人、守ってあげたい人、恨みを抱く人。

そして、自分の小宇宙のなかでは群衆として存在した人。その人たちの名前を、私は知らない。私ではない誰かによって声に出されるべきその名前を、私は知ることができない。

キェシロフスキの作品を観ると、いつもそんな思いが、夜の気配をエーテルのように満たす。

殺人に関する短いフィルム。

主題が殺人とその罰だけに、一見すると社会派ドラマのようにも見えるけれど、キェシロフスキが描き出すものに、社会批判や政治的メッセージは一切ない。

彼が描くものは一貫して、誰しもが背負っている原罪性と、抗(あらが)いがたく伸びる、その宿命的な影だ。

テレビドラマとして撮られた『デカローグ』(モーセの十戒にモチーフを求めた全10話の作品)から、『第5話 ある殺人に関する物語』をロングバージョンにしたもの。

ある青年が殺人に至るまでのシーンと、その罰を受ける(死刑)までのシーンとが、ほぼ等価に描きだされる。

だからといって、あの愛すべき弁護士の死刑反対の姿勢を、そのまま作品のメッセージと受け取ってはいけない。キェシロフスキは、そんな”なまじっか”なことをする作家ではない。

キェシロフスキが描いたものを、誤解なく受け取るためには『デカローグ』を観ないと難しいかもしれない。

ツタヤさん、全国津々浦々の店舗に、ぜひ『デカローグ』を配備してください。VHS時代はあったのにな。
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