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風の谷のナウシカのymdのレビュー・感想・評価

風の谷のナウシカ(1984年製作の映画)
4.8
久々の鑑賞だけど、決して色褪せることがない、むしろ年月が経つほど本作に宿るメッセージの迫真性が増していく真の傑作アニメーション映画だ。

ジブリ(というか宮崎駿)映画で語り継がれる名作は数多くあれど、個人的にはこれを超える作品はこれまでもこれからも生まれることはないと思っている。

幼少期に観ていたときは単なる冒険活劇だと思って夢中になっていたけれど、公開から40年近く経った今、本作はまるで炭鉱のカナリアのように我々に警鐘を鳴らしているように感じてしまう。

非常に哲学的で遠大な叙事詩であるがアニメーション映画としてのダイナミックなエンターテインメント性も一切損なうことがない、その奇跡的なバランス感覚こそが本作の最大の魅力であり、「子どもから大人まで夢中になれる」ジブリ映画の基礎が築かれた記念碑的な作品でもある。

壮大で世界観を有しながらも簡潔に・明快にその舞台設計を説明していくストーリーテリングと、魅力的なキャラクターの人物像を丁寧に紐解いていく巧みな脚本美は1本の映画作品の作り方として理想的であり、どこを見渡しても過不足の無い構成になっているのが凄まじい。

自然と人類の共存という非常に深淵なテーマを下地に敷いた物語であるけれど、この手のポストアポカリプスを描いた作品の多くは妙な説教臭さが付き纏うのが常であるのに対し、この映画は非常に俯瞰的に自然と人類の関係を描くことに徹しており、どちらにも肩入れをすることなく”ありのままの”の営みを描写し続けるのが特徴的である。

ナウシカをはじめとした風の谷と、腐海と虫を制して人類の権威を取り戻そうとする軍事国家トルメキア、そのトルメキアとの抗争を第三者(風の谷)を利用して乗り越えようとするペジテという三つ巴の戦争を描いているが、この戦いに対して腐海や王蟲は常に自然の脅威としてでしか存在していない。

王蟲は確かに人里に襲い掛かるし、胞子は人間の領域である畑や森に降り注ぐが、それはあくまでも自然の摂理に則った事象としてしか描かれることはないし、そうした脅威にしても人類側が意図的に破壊・蹂躙を行うことによってしか起こっていないのである。

どちらが良い・悪いという話ではないものの、『もののけ姫』が自然界が反旗を翻して自らの意志を持って聖域を守ろうとするのと対照的な本作のほうがよりリアリティがあると個人的には思うし、自然とは到底人知で抑制することができないという一種の諦観したような眼差しに、宮崎駿という映画人の信念を感じ取れる気がしてならないのだ。

ナウシカの永遠のヒロインたる魅力的なキャラクター造形は言わずもがな、ユパやミト、アスベルといった脇役たちの存在感も素晴らしく、群像劇としての面白さも抜群だ。
特にトルメキア軍の総帥クシャナは宮崎駿作品のキャラクターの中でも傑出した魅力を備えており、それほど多くはない登場回数の敵役でありながらも丁寧にその心情の機微を写し取ったシーンのどれもに胸を掴まれる。

敵役から端役まで、画面に登場するキャラクターを物語推進のためのコマとして消費せずにしっかりと一つの存在として浮き上がらせるからこそ、これほど壮大な世界でありながらも説得力のある映画として成り立っているのだろう。

久石譲の独創的なサウンドトラックも、決して忘れることがないほどの強いインパクトを有している。
タブラなどの民族楽器を大胆に導入した異世界へ誘うような唯一無二の音楽がこの映画を強固に補完している。
その映像と音楽のギャップの相乗効果は後の押井守による『GHOST IN THE SHELL』と川井憲次のタッグなどにも影響を与えているように思えるのはぼくだけじゃないだろう。

子どものころから繰り返し見ていたアニメーション映画だったけど、こうして10数年ぶりに見てその本当の素晴らしさをやっと理解できるようになってきた気がする。
でも、この映画の真価はまだまだこんなものじゃないだろう。

人生のベストアニメーション映画の一つであることは疑いようがない。
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