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バニー・レークは行方不明のymdのレビュー・感想・評価

バニー・レークは行方不明(1965年製作の映画)
4.3
アバンタイトルの洒脱で斬新な演出に引き込まれるが、その奇妙な引っ掛かりから映画全体を覆い包んでいる傑作サスペンスミステリー。

1965年公開のモノクロ映画だけど、クールでヴィヴィッドな映像表現と圧巻のストーリーテリングは時代を超越したクオリティで、今なおショッキングな爪痕を残す隠れた名作映画です。

とある人物の失踪をテーマに描いた映画というのはこれまで世界中で幾つも作られてきたし、この映画はそういったジャンル映画のパイオニアとも呼べるかもしれないけれど、今でもセンセーショナルなのはマクガフィンでる失踪者(今作ではバニー・レークだ)を冒頭から一切登場させないという点にある。

それにより、この映画で語られる事件が本当に起こったことなのか、それともその母親の倒錯した虚言に過ぎないのが判然とせず、プロット全体が不安定な様相を呈している。

つまり本作は、本線としてミステリー要素を推進しつつ、同時にサイコサスペンスとしての恐怖感も醸成することに成功しているのでる。

当時のテクノロジーの問題なので期せずしてのはずだけど、陰影の深いモノクロだからこそ“見えないもの”が画面内外の至るところに介在しているようで、その居心地の悪さ(気持ち悪さ)が没入感を高めているのも面白い。

ログライン自体はとてもシンプルなので中盤に若干の中弛みは感じるものの、スタイリッシュなカメラワークと要所要所に配置された小道具使い(ザ・ゾンビーズ!)も含め、冗長にならずにグイグイと展開していく演出とストーリーの牽引力には目を見張るものがある。

特にクライマックスからの怒涛の狂乱はホラー映画の視点で見ても出色の恐ろしさに満ちていて、あまりの奇天烈さに眩暈がしてしまった。

オットー・プレミンジャーという監督のことは知らなかったけど、今作を生み出した功績はだけだとしても、ヒッチコック、ポランスキー、フィンチャーというサスペンス映画における系譜の中に組み込むべき人物だと思う。それほどに面白い傑作。
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