ヨーク

世界の終わりからのヨークのレビュー・感想・評価

世界の終わりから(2023年製作の映画)
3.1
タイトルだけだと『世界の車窓から』を彷彿するような『世界の終わりから』なのだが『世界の車窓から』のような牧歌的な作品ではなかった。いや、これは凄い映画だったな。なんだろうな、これ。凄い面白でも凄いつまらないでもなく、ただ凄い、としか言えないような映画で、そういう点でいうならば今年一番凄い映画だったかもしれない。少なくともぶっ飛んでいるという点では今年一番と言ってもいいだろう。
そういう書き出しだと凄まじい映画なのかなと思われそうだが、一応本格的な感想の前に書いておくと個人的にはそんなに面白い映画ではないと思ったし、好きか嫌いかで言っても結構嫌い寄りの映画ではあった。でもそれはそれとして凄い映画であったのも事実なのだ。
あらすじはありのままのあらすじを懇切丁寧に書くと俺の頭がおかしくなったのでは? と心配されそうなお話なのだが、まぁかいつまんで書くと、両親も祖母も死んでにっちもさっちもいかなくなった女子高生にある日突然政府の秘密機関の人間が接触してきて「この世界は2週間後に滅ぶけど君が頑張ればそれを回避できるかもしれない」と言う。なんでも彼女がいつも見る変な夢にその鍵があるらしい。半信半疑のまま主人公が付いていくとそこには湯婆婆丸出しな夏木マリが…。彼女はアカシックレコードやアガスティアの葉のようにこの世の全ての出来事が書いてある本を読むことができてその本には世界の終わりが書き込まれていて、それを回避する方法を見つけては日本政府に注進をして大きな災害や事故を未然に防いできたらしい。そんで今回の世界の終わりというのも主人公が見る夢を変えることができればそれを回避できるのだが…さてどうなるかというお話ですね。ちなみに主人公が見る夢というのは戦国時代風なファンタジー世界でそこには夏木マリや主人公のように運命としての輪廻を読める人間とは対になる無限の命を持った悪役的な奴もいてなんか凄い展開になる。はたまた遠未来のSF世界も並行して描かれてそれもなんか凄い展開になる。その三つの時間軸の世界が映画の終盤では絡まり合って収束していって何かもう凄い感じになるのだ。
ちょっと途中から真面目にあらすじ説明をするのを投げてしまったが、でも本作がなんか凄い映画なんだろうということは理解していただけたのではないだろうか。真面目に語ろうとしても電波ゆんゆんな感じは否めないが、いや、凄い映画なんだよ。
その凄さっていうのは本作を観ながら思い出していたんだけど、実は監督である紀里谷和明のデビュー作である『CASSHERN』の頃からあんまり変わっていなくて、それは融通が利かないほどのクソ真面目さと行き過ぎた悲観主義なのだと思う。本作ではその要素が遺憾なく発揮されていて、もう凄かった。具体的にどんな感じかというと上で簡単に触れたが主人公の少女は交通事故で両親を亡くして祖母も亡くなって、親の貯えも大してなかったのかバイトしないと進学もできないという状況でさらに学校ではイジメられていてパパ活を強要されたりして、それでも人類を救うために夢の世界で頑張っているのに誰も褒めてくれないばかりかどんどん彼女を取り巻く状況は悪化していってこんな世界なんて本当に救う必要があるのだろうか? という風に描かれていくのであった。
もうね、主人公にいいことなんて何も起きないの。いやまぁ物語の起伏としては良い方向に進みそうに思える展開もあるんだけどそれらは基本的に全部覆される。そういうのはおそらく全部、監督の現実の世界に対する絶望に起因するものであって、たとえば東日本大震災を経ても原発を使わざるを得ない世界とか、世界規模のコロナ禍が起こっても人類は団結できずにロシアによるウクライナへの侵略が起こってしまったこととか、そういういつまでも良い方向に変化することができない世界というのを一人の少女の受難として描き、そこに運命論的な週末を重ねているわけだ。まるでネット上でネタ的に消費されるRPGのラスボスあるあるで言われるような「人類は救いようがなく愚かだからこの私が全てを滅ぼそう」を地で行くような感じですよね。
ま、それも分からなくはないよ。確かに大衆というものは愚かに見える。芸能人の不倫とかでヒートアップしてあることないこと喚きたててるSNS上のやり取りとか見たら絶望したくもなるわな。反ワクチンでもQアノン的な陰謀論でも何でもいいけどそんなのを持ち上げて本来は連帯すべき階層の人たちがお互いに反目し合っている姿を見せられたら世の中が嫌にもなるさ。だけどそんなミニマムな世界がこの世の全てだと思ってそのちっぽけな主観の元でこの世界はゴミだから滅びるべきだなんて、傲慢もいいところなんだよ。
俺は『GOEMON』を観てマジつまんねぇわ…と思ってそれ以降は追っていなかったから断言はできないが、多分、紀里谷和明って本当に真面目な人なんだと思うよ。本当に心の底から今の世界を憂いていて何とかしなければいけないと思っている。その本気さというのは本作を観れば嫌と言うほどわかるだろう。でもそこにあるのは真面目さや本気さと言ってしまえば聞こえはいいが、狭い世界の中で自分が正しいと思っているものだけが正しいのだ、という薄っぺらな傲慢さなのだと俺は思う。この世界には救いがない、と言いながらも現実問題としてその救いようのなさに立ち向かっている人間には何の言及もなく世界の多重性にも目を向けずに、ただ主人公と彼女が訪れる異世界で出会う少女が救われないからもうこんな世界は終わってもいいというのは幼稚にも程があるだろう。遠未来にある救いというのも実に浅はかで作劇的にもドが付くほどに下手くそなデウス・エクス・マキナであるとしか言いようがない。端的に言って紀里谷和明という人はこの世界の悲しみや苦しみを「分かった気に」なってそんな世界に酔っている自分自身に酔っているだけだと思う。本当の意味で他人の世界っていうのがないんだよね。自分にはこう見えているという、その世界しか見ていない。だから設定としてのレベルでも夏木マリが持ってるアカシックレコード的な本になぜ全ての運命が記されているのかとか、そういうところは作中では全く言及されないのである。
しかしここまでボロクソに言っておいて今さら褒めるというわけでもないのだが、この感想文の最初に書いたようにこの映画は凄い映画で、その凄さというのは本作全体に通底している世界への憂いや絶望というのはそれがいくら薄っぺらくて稚拙であったとしても本当に監督の心の底から湧いてきている本気なのだということを思い知らせてくれる迫真さなんですよ。ポーズとかじゃなくてガチなんだよ、紀里谷和明は。そこは本当に凄い。映画に限らず作り手の本気さがここまで伝わってくるっていう作品は凄いですよ。面白いとかつまらないとか、好きとか嫌いとかじゃなくてそこは本当にグッとくるところがあったから、個人的にはこれで引退だなんて言わないでまだ撮ってほしいですね。
とりあえず『CASSHERN』は見直そうかなと思いましたね。かなり稀少なタイプの映画監督なのではないだろうか。まぁ面白いとか好きとかではないんだが…。
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