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哀れなるものたちのKKMXのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

 評判の高い本作。しかし、あのランティモスが正調のフェミニズム映画なんて撮るはずがないため、かなり警戒して鑑賞しました。

 結果、ラスト直前までは、主人公ベラの快進撃にアガりっぱなしでしたが、ラストでひっくり返され、「やはりランティモス、底意地が悪ぃ……」と絶句。『バービー』のような本当の意味で世界を変えたいと思って作られたフェミニズム映画を台無しにする展開は、ホントにこの人性格最悪です。とはいえ、ベラの力強さは多くの人をエンパワーしそうで、ランティモスの性悪を超える力を持ったキャラだと感じています。とにかく、どの角度から観ても手ごたえがあるし、面白い映画ではありました。美術も最高でしたし🌹


 舞台は19世紀っぽいが明らかにスチームパンクの仮想世界。マッドサイエンティストのゴッドは、ある日川でどんぶらこと流れてきた自殺した妊婦の死体を発見し、胎児の脳を妊婦に移植し、蘇生させます。この人造人間(?)はベラと名付けられ、ゴッドのラボで急速に成長していきます。ベラは自分を閉じ込めるゴッドに反発し、ひょんなことから知り合ったセックス好きの有害男性・ダンカンとともにラボから脱出、世界を漫遊していく…という話。


今回は完全ネタバレで行きます。


①ベラの成長について
 本作は観ていて高揚します。社会の欺瞞や不条理に気づいていくベラが、強い意志で有害男性どもにNoを突きつけて、自由や権利を勝ち取っていく様は痛快です。なので、エンディングを観るまではメッセージもポジティブで力強く感じました。エンディングまではね!
 エンディングの話に行く前に、ベラの成長について考察します。自分は、この成長パターンが布石になっており、ラストに深層的な意味で伏線が回収されたと見ております。

 ベラの成長は、ものすごいスピードであるが故に、ちょっと独特だと感じました。ベラの成長の基本は性的な快感、知的な快感、自立する快感と、基本は『快』なのかな、という印象です。社会が強いてくるおかしな価値観は取り入れないところも痛快です。
 一方で、思春期的な葛藤を経ての成長はあんまり感じなかった。ベラはどこまでもシンプルで機能的です。揺れる気持ちに悩む、とかはあまり無いです。貧困により子どもたちが死んでいく現実にショックを受ける場面はありましたが、それが彼女に強い影響を与えたのは一時的。このショックを引きずって社会と自分を相対化して無力さに苦悩する、とかは無い。カネが無くなった、じゃあ切り抜けよう、さあ経済活動して自立だ、になる。苦悩するヒマがあるなら前にジャンジャン進むのがベラです。
 すなわち、ベラは成長スピードの速さ故に、葛藤できなかったように思えます。

 ベラは基本苦悩しない、それ故に深くしみじみと共感することはあまり無いように思いました。それ故に対象を機能として見る傾向があります。
 前半の彼氏・ダンカンを振る理由にその辺の個性が現れてました。ダンカンはセックスは良いが支配的で、ベラを縛ろうとし続けてきましたが、ベラは関係が良くなるかも、と言って別れない。しかし、無一文になり、ダンカンにその状況を切り抜ける力が無いとわかると振る。内面ではなく機能性で人を見ているのがわかるエピソードです。
 その後のパートナー・マックスはベラを崇拝しており、ベラにとって都合のいい男。機能が良く使い勝手がいいので、ベラは結婚を考えたのでしょう。マックスの置かれた立場はかなりヒドくて、これが男女逆ならば非難轟々でしょうね。

 まとめると…ベラはとても真っ当で、社会の不条理や男からの支配に対して真っ向勝負をします。ベラはスケールがデカい人で、思考し、行動力があります。しかし、感じたことを抱えて苦悩するよりも動くタイプ故に他者への微細な想像力は苦手としています。支配や不条理への怒りは共有できるけど、悲しみで心を痛めるというよりも怒りが先行し行動につながる。成長スピードが速いことは、留まれないとも言えると思います。

 それ故にベラは、時として暴力的な存在になります。しかし、出てくる連中が絵に描いたような有害な男性性を煮詰めたキャラばかりなので、その暴力性はラストまで発露されなかったと感じました。
 しかし、ここが性悪ランティモスの狙いではないか、とも感じます。別に想像力が弱いってのは単なる個性で悪いことではないけど、ラストシーンを観る限り、それは時としてものすごく恐ろしい結果になるかもな、と感じました。


②ラストの展開と『哀れなるものたち』とは何か
 本作、終盤にラスボスが登場します。ベラが人間だった時(当時の名前はビクトリア)、夫だったアルフィー将軍。軍服に勲章をつけて、ヤバそうな雰囲気の人。この人、ザ・悪役で職業は軍人。ピストルを振り回して支配を公言し、使用人たちにも暴力的に関わり、元妻を自殺に追い込む、はっきりと異常な人間です。しかし、彼は戦場の話が多く、ピストルを振り回す感じは、恐怖への防衛とも取れます。神経が過剰反応している様子が伝わります。

 おそらく彼は戦争PTSDなんですよ。戦場でトラウマを負っている可能が極めて高いです。

 そういう視点に立てば、アルフィー氏も被害者。撃つべきはアルフィー個人ではなくその背景にある問題ではないか、と想像も可能です。
 しかし、ベラにはアルフィーに対する想像力が無い。ベラはアルフィーを自由を侵害して束縛し、尊厳を蹂躙する悪として裁き、最後は動物の脳を埋め込みます。

 これは正直、「ベラやっちまったなぁ〜」と思いました。あれだけ否定して闘い続けた支配・蹂躙を、ベラはアルフィーにやりましたからね。

 アルフィーを単純悪として考えると痛快この上ないです。ムカつく敵をブッ殺し、カタルシスを目的としたアクション映画、例えば『燃えよドラゴン』みたいな作品ならばスッキリでいいかもしれないけど、本作はフェミニズム的視点を持ち、現実の価値観と地続きな作品なので、カタルシスで終わらせずにデリケートに考えないとヤバいのでは、と思ったのです。ぶっちゃけ、フェミニズムとか人種間対立とかの現実的価値観が絡まなければ、スッキリざまぁエンドでもいいんですが、現実への影響もあり得るから厄介です。ベラのカッコよさに惹かれて、勝者による敗者の蹂躙・支配を描いたあのエンディングを是とするフェミニストが現れてしまうと、世界は後退してしまう。だから、ラストは立ち止まって考える必要がある。ランティモスもわかりやすすぎるサインを出していることですし。
 もし、ベラが思春期的な葛藤を引き受けて、他者への想像力を強めていれば、アルフィーを倒すことは変わらずとも、彼の背景を探ろうとしたり、思いを馳せた可能性があったと思います。アルフィーは結構末期的なので、倒す以外の選択肢は無かったでしょう。しかし、それでも倒す高揚感ではなく、倒す罪悪感があれば、反復以外のオルタナティブな道を見出せたかもしれません。


 どうも人類には以下の傾向があるようです。それは、『単純な勧善懲悪、善悪二元論の世界に陥り易い』。
 アイツ悪いからブチ殺そうぜ的な世界観で、悪いとされる対象の背景を想像しません。この言わば「目には目を」のスタンスは、争いを維持させてしまう行動原理でもあります。

 哀れなるものたち、とは誰か。どうしても善悪二元論となり、悪の背景を想像せず、悪い奴を倒して痛快、高揚する……まさに本作のエンディングが示したような傾向です。そして根本原因を探求せず、これを繰り返し、無駄な支配や蹂躙を立場を変えてやり続ける、そんな人類を『哀れなるもの』と言っているのでは?ラストシーンは、皮肉屋ランティモスの真骨頂だと思いました。
 そして、共感や想像力を弱点として成長したベラがこの結末を導くあたり、深層的な伏線回収がバッチリという印象で、怖気立ちました。しかもこのオチ、前作の『女王陛下のお気に入り』と立場逆転という構造は同じ。すなわち勝利して望むものを手にれたところ、それって何の意味がある?反復でしかないじゃん、と問いかけてくるような感じ。ランティモスはベラの勝利をアイロニカルに描いています。だから、ラストの絵面が非常に歪なのでしょう。

 ラストを皮肉と毒っ気たっぷりに描いていますが、同時に、ベラが有害男性たちと闘い、様々なものを勝ち取って来た功績まで否定してはならないと思います。この映画を観た人が獲得した、力強く隷属しないベラのイメージはとても尊いものです。ベラのイメージは、彼女の闘いを見て感動した人たちの心をきっと支えてくれるでしょう。ランティモスの皮肉なオチでニヒリズムに陥ってしまうのは断じてノーです。
 ラストで立ち止まって考えることは、ベラのイメージを否定するのではなく、さらにアップデートすることにつながると思います。誰しも正解だけを選ぶことはできず、すべての人は未熟から成熟に向かって生きているため、ベラの人生は続き、やがて自分の行動を振り返る瞬間があるかもしれません。ラストの問題にベラが気付けば、おそらくこれまであまり経験できなかった葛藤が生まれるでしょう。まさに、それが新しい旅のスタートとなると思います。


③創造主ゴッドの成長
 一方で、創造主ゴッドの心の変化はベラの成長と違い、痛みが伴ったと思います。彼は過去の虐待体験により「自分に感情は無い」と言い聞かせて生きており、ベラにもあくまで実験対象として関わってました。ゴッドは絶対的な孤独に生きていますが、それから懸命に目を逸らしていたと言えると思います。
 しかし、ベラに出て行かれてゴッドは少しずつ痛みを実感していきました。ベラを愛していて、ベラを失った痛みを感じ始めたのです。しかし、それを認めて受け入れることを、ゴッドはできなかった。孤独と向かい合うことはかなりキツいからです。その結果、もうひとりのベラのような人造人間を造り、罪を重ねてしまいます。
 しかし、ゴッドの孤独に寄り添う人がいました。それは助手にして、ベラにとっての都合のいい男マックス。ベラとの関係では良さが発揮されないマックスですが、ゴッドに対しては時に指摘し、時に寄り添うスタンスで、ゴッドの心の痛みの深化と受け入れを支えました。その結果、ゴッドはついにベラへの愛を認め、やがてベラとは父娘としてもう一度出会い直すことができたのです。
 個人的にはゴッドの物語の方はストレートで、とても好みでした。しかし、このパートのあっさり具合から、ランティモスの「こんな話はありふれているから、この程度の匙加減で十分だろw」みたいな感じ悪さを勝手に想像しましたね!ヨルゴス感じ悪いッッ!


④演者その他
 エマストは存在感バリバリで、『女王陛下〜』の時よりもハマっていたと思います。体を張った演技は根性見えてグッときました。セクロスシーンは別にエロくなく、スポーツしてる感じでしたね。個人的に『エロスは品位に宿る』と考えており、その意味でベラは品位とは関係なく自由に生きているのでエロくなかったです。『花様年華』のマギー・チャンの方が100倍エロい。
 マッドサイエンティスト・ゴッドのウィレム・デフォーも重厚でよかったです。調べたら『プラトーン』のエリアス!なるほど、納得しました!

 最後に髪フェチとしてイチャモン。ベラの前髪なし黒の超ロングヘアかかなりツボで結構トキめいたのですが、あそこまで長いと毛先がパサつき、美しくないと思いました。バックショットになるたびに「ベラ〜!毛先トリミングしてくれ〜!」と思ったものです。やっぱり髪は綺麗に伸ばしてほしいッッ!
 一方で、俺の感想はまさに男性の支配的な欲求であるため(しかしフェチって修正不能だし人生の足枷でもありますよ!と言い訳)、あのワイルドな髪は支配されない自由さの象徴でもあるので、お手入れしちゃったらベラのイズムと矛盾するかも、とも思って観てました。そんなこと思って本作観たの、世界で俺だけだと思いますが🤣
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