ラウぺ

瞳をとじてのラウぺのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.2
22年前、映画『別れのまなざし』の撮影中に俳優のフリオ・アレナスが失踪した。海岸で靴が残されていたことから警察は自殺と判断したが、遺体は出て来なかった。監督のミゲル・ガライはこの失踪事件を題材としたテレビ番組の出演を決め、当時の関係者を尋ね歩くことにした・・・

監督と俳優という関係以上に古くからの友人でもあったフリオの失踪はミゲルの監督としてのキャリアを中断させ、深刻なトラウマとなっていた。
かつての彼女、フリオの娘、当時の撮影スタッフなど、旧知の関係者を尋ねることで自らの人生を振り返ることになる。
『ミツバチのささやき』のような物語があるようなないような、微かなテーマに対する示唆がほんのり漂う展開ではなくて、この作品ではある意味ストレートにテーマに沿って物語が展開していきます。
本編169分と結構長大な映画ですが、丁寧な物語運びと自然な会話の中で物語が進行し、フリオの失踪の理由を巡るサスペンス風味な展開もあって、まったく弛緩することなく物語に没入できます。

映画の冒頭で未完の映画『別れのまなざし』が挿入され、この場面ではシャープネスを落としてフィルムライクな古びた映像を使い、昔の映画らしさを強調しています。
1947年のパリでユダヤ人の富豪が主人公であるスペインの男に人探しを依頼する場面。
戦争の惨禍のあとでスペインではフランコの独裁が当分続きそうな情勢下、内戦の際にアナーキストであった男のトラウマ(=敗北あるいは挫折)を知る富豪が最期の願いをする場面は、この物語のひとつのシンボルとなっていて、やはりスペイン内戦の影がこの会話の中に色濃く表れています。

ミゲルが会いに行くフリオの娘はアナという名前で、『ミツバチのささやき』のアナ・トレントが演じているとのこと。
劇中劇である『別れのまなざし』、映画のタイトルでもある“瞳を閉じる”こと、そして同名のアナが登場し、物語中にも「おっ!」と驚くような場面が登場し、『ミツバチのささやき』との関連を強く意識したところがふんだんに挿入されていますが、隠れたテーマとして両者に共通するのが“映画の魔法”に相当する部分。
ミゲルの会いに行く関係者はアナを除くと当然映画関係者であり、映画のかける魔法を信じてその仕事としていたなかで、未完に終わった作品が喉に刺さったトゲのごとくそれを引きずりながら22年の歳月を生きてきた。
この登場人物たちとの関わりにおいて、映画は『ニューシネマ・パラダイス』のような一種の憧れに相当するそれぞれの胸の奥底に響く存在として大きな意味を持っていることが感じられるのです。

映画はその“魔法”の可能性について、更に推し進めた形で展開していきます。
俳優としてのフリオのキャリア、未完の『別れのまなざし』が目指した着地点がどこにあるのか?
観る者をスクリーンに釘付けにする吸引力は、この作品がテーマとする“映画の魔法”そものの魅力でしょう。
ここで映画が閉じられるべき、と確信するところで終わるエンディング・・・

『ミツバチのささやき』から50年、最後の映画から31年ぶりの長編、これまで僅か長編4作品と極めて作品の少ないビクトル・エリセですが、巨匠と呼ばれることは作品の多寡には関係ないのだ、ということが大いに実感されるのでした。
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