どこまでが意図した仕掛けなのかわからない。
評価が難しい。汲み取ろうと思えば歩み寄れる。
構造自体がアイロニックなアート型の映画。
「音」に注目した解説が多いけど、
ユダヤ人との接触に関わる皮膚感覚の差別、
(性搾取の後に下半身を洗うシーンやばい)
肉体が焼かれた臭いの描写、
吐き気のしつこい描写などの方が
わかりやすくヒリついた。
川遊びからなぜ慌てて子供達を上らせたのか、
流れてきたのがユダヤ人の人体の何?なのか、
見せすぎないところも、
変にスタイリッシュで居心地が悪く鋭い。
画面設計が美的で心地良いので、
ともすれば眠たくなってしまう。
これもわざとだろうな、と歩み寄りたい。
監督の代表作、ジャミロクワイのMVにも通じる
過剰な一点透視図法や安定的なパンの多用も
心地よくて眠くなる!わざとだろ!
残虐なことが行われてる、という前情報を
入れて観に来てるのに眠くなるの?え?という。
映画からの挑発。
画面が真っ赤に接写されたり、
暗視カメラになったり、
意外と実験志向の画面も多い。
こういう、手段での興味喚起は
やろうと思えばもっとできるんだろう。
(女の子がサーモグラフィーに反応するのは
「エネルギーとして捉えてるから」という監督談、
そういう独自ロジックが面白くて、
仕掛けはかなり意図的ではないかと思える。)
観客に微睡を差し出しているんだろう。
その実験は悪意的では?という問いも浮かぶ。
観客に微睡を差し出すのが実験意図だとするなら
情報を制限された観客が眠くなるのは
当たり前だしアンフェアじゃね????
とも思いますが。。。どうなんだろう?
一本の劇映画として面白かったかと言えば、
面白くなさが実験に組み込まれてるので、
面白くなくて成功、というタイプの映画。
構造が鋭利なので後世には残るだろう。
評価も変わっていくだろう。