ろ

哀れなるものたちのろのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
5.0

朝、劇場に向かうバスの中で肘掛けに頬杖をつきながら、自分の葬式で流すとしたらどんな映画音楽だろうとぼんやり考えていた。

やたら細長い「POOR THINGS」のクレジット。
暗転とともにプンとかティンとかいうガラスのコップを弾いたような不協和音が流れ始める。こんな不可解な音楽が故人とのお別れで流れたらさぞ愉快だろうなと一人にやつく。

自殺した女性に彼女が身ごもっていた胎児の脳を移植して蘇らせるという、メアリーシェリーもびっくりの天才的に変態じみた実験によって再び生を受けたベラは、リスボン、アレクサンドリア、パリと渡り歩く中で喜びと残酷、そして自由という概念を体験する。

好きでもない人からの愛の告白は、食べ過ぎて吐いてしまったエッグタルトに似ている。
赤ん坊の泣き声に向かって殴りかからんばかりの勢いだったベラもやがて、貧困に喘ぎながら死んでいく赤ん坊に涙する。
食に目覚め、言葉に目覚め、性に目覚め、知性に目覚める。ベラは日ごと”人間”に進歩する。

幼いころから父親の実験台にされてきた博士は、ベラを被験者に選び行動観察を行う。そしてまたベラ自身も自分を実験台と捉え、あれこれ冒険してみる。
エッグタルトを食べるにも解剖学を学ぶにも、金がなくては始まらない。そこで彼女は金と経験値を得るために体を売ることにする。はじめは女主人の言う通りにしていたものの、「逆に女が客を選んだらどうか」と提案してみたり、客に幼少期の話をしてもらってから仕事に取り掛かったり、彼女なりの働き方改革を試行錯誤。そんなふうに分析と検証を繰り返しながら、ベラは着実に人生の駒を進める。
一方、言う事もやることも矛盾だらけ、嫉妬に狂い、愛に悩み、気持ちをぶつけては玉砕するダンカン(マークラファロ)はまるで水揚げされたばかりのマグロのようにジタバタと騒ぐ。彼女が広げたゲーテはすぐさま海に放り投げ、相手にしてもらえずいじけて毎夜カジノに貢ぐ。その姿は実に切なくおかしいのだが、劇場を後にした私の頭の中を占めるのは、快感の絶頂に顔をゆがめるベラではない。彼女に向かって嘆きながら両手を広げ、文無しで路頭に迷うダンカンの情けない泣き面だった。結局私も彼と同じで、どうしようもない虚しさややるせなさに真正面からぶつかっては砕け散る生き方しかできないのだと思う。

マネの「草上の昼食」のような重厚な色彩のど真ん中に鎮座するパステルカラーのベラ。個性的でも異質でもほら、ちゃんと世界と調和している。
偏った社会通念をざっくり切り捨てながらナンセンスを愛するこの映画は、それは美しく残酷なアバンギャルドだった。


( ..)φ

たのしみにしていたヨルゴスランティモスの最新作は、「東京タワー ボクとヒエロニムスボスとファンタスティックプラネット、時々ジュネ」といった具合で、ファンタジックな上にグロテスク、ウィレムデフォーはげっぷなのかなんなのか食後にシャボン玉のようなガスの球体を宙に吐き出していた。

エマストーンは幼い少女にも慈悲深い母親にも、そしてやつれたロッテンマイヤーさんにも見えるのがとても不思議で、正面・横顔・背中、それぞれに違う顔を持っていた。

そして今回一番の収穫はなんといってもマークラファロ。ヨルゴスランティモスの描く男性像はいつも絶望的に情けなく頼りなくて、それが愛おしくてたまらないのだけれど、破天荒なベラのダンスをなんとかまともなダンスに見せようと奮闘するマークラファロも、精神病院みたいなところに閉じ込められてなお泣き言を連ねるファイティングラファロも好きだった。
やぶれかぶれって生命力だ。
思いがけず生きる勇気と希望をもらった。
ろ