映画『ザ・クリエイター/創造者』IMAX全国最速試写会にて鑑賞
【短評】
鑑賞後の頭の整理中「本作は『レミニセンス』類似案件では?」と気づきました。要は「トレーラーの出来の良さから"時代を代表する黒船来訪"かと臨戦体制をとったけど、どっこい実態はちょっと違ったぞ」映画ってことです。
『レミニセンス』はSF×フィルムノワールのコンパクトな作品で意外と拍子抜けしてしまいましたが(つまらなかったということではなく)、本作は「純粋培養無添加のギャレス・エドワーズ100%フレッシュジュース」でしたので、大作エンタメであったことは間違いありません。
それすなわち、『STAR WARS』と『ゴジラ』とSF映画が好きなオタク監督のアイデンティティを随所でぶつけてくる、ギャレス節フルスロットルな作品だったということです。
これから見る方は、本作を見る前に、ギャレス・エドワーズのフィルモグラフィーをおさらいしつつ、彼の嗜好を含み置いておくとイイと思いますよ。
ビッグバジェットのハリウッド超大作を任されて以降のギャレス作品は、ハッキリ言って大味さが目立つようになりましたが、本作ではそれが顕著。
特に、説明セリフによる言葉の芝居がやたらと多い。
せっかくの視覚効果インパクト抜群な世界観を、効果的に活かしきれていません。
冒頭のモンタージュによる、この世界の歴史の説明が、それっぽい画作りの雰囲気パワーで引き込まれるものがあっただけに、その後の「状況は台詞でお伝え」ってやり口には、正直辟易としました。
作品世界のリアリティは、ごった煮アジアンな美術によって十分担保されていました。あとはそのフィールドを、どのように活かして、ドラマを描いていくか次第。演技と撮影と音楽で展開し、台詞で説明を補填するのは最低限に抑えて欲しかったです。
ニュー・アジアという際立ったビジュアルを下地に、目で見て伝える・理解させる語り口で、ドラマチックかむエモーショナルな映画にする方法は、いくらでもあったように思えるのですが、渡辺謙の「核を落としたのは〜」等の台詞に代表される「いや、そこ、映像で見せてくれよ!言葉でサラッと流すなよ!」が多すぎて、だいぶ不満でした。
小画面&速度調整&配信という視聴環境に移り変わり、映画鑑賞からコンテンツ消費へと目的が変質している現代社会においては、映し出される画の中身(映像表現)で語る=万人に理解できない可能性が残る表現よりも、懇切丁寧に言葉で伝える方が良いのかもしれませんが、私は現状イマイチ好きになれません……。
イギリス人監督が、近未来アメリカという国家全体を道具に、ベトナム戦争の惨劇に、「大量破壊兵器の所有」を理由に正当化したイラク戦争を混ぜ込んで、より悪辣で残忍に再現してみせる。
パワー・オブ・アメリカン・ウェイお得意のすり替え洗脳言った者勝ち殺法という、リングもルールも審判も自前で用意するやり口を、ハリウッド資本を存分に使い作るってのは、実にウィットに富んだブラックジョークだなぁ……と笑ってしまいました。
自分たちこそ世界の統一基準(ルール)だと厚かましく押し付けてくるやりようは、ホワイトマンズ・バーデン(白人の責務)で毒された醜悪さを感じます。
反対に、「呪縛から解放される鍵は、対等な関係性がもたらす愛だ」というコテコテの文脈は、決して嫌いにはなれません。鉄板の強さです。
とは言え、前述のドラマの紡ぎ方問題も踏まえて、普通の映画だったという第一印象が強いため、『レミニセンス』類似案件として処理ということで、落着させたいと思います。
まあ、脱出ポッドの構図が完全に『STAR WARS』一作目のそれであったり、随所に感じるオマージュ&リスペクトからは、「これがやりたかったんだなぁ」とニコニコになりましたので、やっぱりギャレス・エドワーズの作品、好きなんでしょうね。
久しぶりに『ブレード・ランナー』でも見返してみますかねぇ……。