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インディ・ジョーンズと運命のダイヤルのbackpackerのレビュー・感想・評価

3.0
幼少期の映画原体験と呼べるものの一つに、インディ・ジョーンズシリーズがあります。
劇場で初めて見た映画が『ドラえもんのび太の宇宙漂流記』、VHS録画を見た記憶があるのは『ゴジラVSデストロイア』(今思えば、他のゴジラを見たことなかったのに、よくこれだけ見てキャッキャできたなと)
と『ホーホケキョとなりの山田くん』。他にも、近所のTUTAYAでVHSをレンタルして、色々と見ていました(ウルトラマンとウルトラセブンばかり見てた記憶です)が、自分が映画を「見たい!」と明確に意識したきっかけは、『STAR WARS』三部作(当時一番好きだったのは『ジェダイの復讐』)と『インディ・ジョーンズ」三部作(同「最後の聖戦』)でした。幼い少年心には、見たこともない宇宙世界を舞台にした壮大な戦いや、ロマンあふれる大冒険のアクションアドベンチャーに心動かされ、その世界を好きにならずにいられなかったのです。
思い返せば、自分のボンクラ映画ライフの始まりには、ルーカスとスピルバーグ、そしてハリソン・フォードの力が強く影響していたんだなと実感します。
その後は、スタローンとシュワルツェネッガーという2大筋肉番長の影響下に置かれたり(当時既に全盛期を過ぎていましたが)、午後のロードショーブランドが産地となった作品の勢力圏に浸ったりと、ポンクラ道を着々と歩んでしまいましたが、それらの映画原体
験あってこそ、今の自分があるんだなぁ、なんてしみじみ思います.......。

さて、そんな個人的な源流の一つである『インディ・ジョーンズ』シリーズも、遂に幕を下ろす時が来たようですね。
正直、前作『クリスタル・スカルの王国』で十分満足していた身の為、更に15年も経ってから公開された本作に対しては、期待値はそこまで高くありませんでした。
ましてや、監督がスピルバーグからジェームズ・マンゴールドに交代というのも気になるポイントで、気乗りしない感覚はいや増すばかり。実は、この点が非常に大きなネックになっていたなというのが、鑑賞後に抱いた率直な感想です。
マンゴールドと言えば最近は『フォードVSフェラーリ』で最高に楽しませてくれたのが記憶に新しいですが、やはりルーカス&スピルバーグのコンビではなくなる、いやさ敢えて言うならば、スピルバーグの外連味が損な
そしまっては、インディ・ジョーンズのらしさを保つのが難しいのだなと思い知らされました。

率直に言って本作は、インディ・ジョーンズらしさが出るよう頑張って努力したイイ映画ではありました。でも、これまでに味わった大冒険の興奮、悪趣味で不気味でグロいのに笑える独特の世界観、インディの超人性・ヒロイックさ等が織りなす映画のマジックを感じることはできませんでした。
本当のところ、インディの冒険人生の終わりを見届けたいという欲求は、自分は元よりありません。御年81歳のハリソン・フォードのご老体ぶりを踏まえると、やっぱり前作が限界点だったなと否が応でも思わされました。

なんといっても不満だったのは、息子のマットが死んでいたことです。不満通り越して怒りです。
シャイア・ラブーフ問題を踏まえてこのような対応となったのは想像に難くありませんが、そういうリアルの都合で殺すのは酷すぎる。なんだこの扱い。キャラクターの生き死にを軽く考えすぎですよ。脚本担当には猛省いただきたいです、こんなあまりに安直な排除は。
それに、マットの死が作劇上重要な葛藤構造として立ち上がっていたようには思えません。もっと物語の芯として取り上げられてもいいくらいの重大事ですよ。あんな名づけ
子とマクガフィンを取り合うドタバタなんかより、遥かに重たいテーマでしょう。
そもそも論として、マットをベトナムで戦死させる必要はなかったと思います。ぶっちゃけ前作の結婚式で3人並んで笑顔を浮かべるラストを思うと、死んでしまった事実がマジで泣けてきます。
殺さなくたって、どこかで元気にやってる設定でもいいじゃないですか。ロッキーの息子は『クリード チャンプを継ぐ男」では出なかったけど、別に死んでなかったじゃないですか。
私は、前作でマットの果たした役割が大きかったことや、彼のキャラクター造形もあって、結構好きだったんです。それをこんなあっさりと地の文で殺すようなことしやがって。酷すぎます....。

マットの死と本質的には同じなのかもしれませんが、本作は、やたらと命が軽々しく扱われていたような印象を受けました。
過去作も割とバンバン人死には起きていましたが、敵や嫌な奴らを中心に、スピルバーグお得意のブラックジョークをふんだんに盛り込んだうえで、死んだり酷い目にあったりしていました。そのおかげで、こちらとしては「まあ死んでもしょうがないよね〜」と安心し、爽快感やカタルシスも味わえていました。
ところが本作。まず、普通の一般人が死にます。それもインディーの大学の同僚。彼の引退を祝ってくれた人たちが、特に何を語られるでもなく、死にます。
他にもCIA職員?の女性も死にます。よくわからんままにアッサリ。何だったんこいつらって感じで。良かれ悪しかれこちらが感情移入をできる程度に、人となりをこちらに伝えてくれないことには、カタルシスもなにもありません。
とどめには、悪役すらもサクッと死にます。シリーズの魅力の一つに、悪役がとんでもない目にあってお陀仏する姿を描くところが挙げられます。なのに、マッツ・ミケルセン演じるユルゲン・フォラーは超アッサリ死んでしまいました。
いやいや、それはあかんでしょ。もっと観客の度肝を抜くアクロバティック死亡遊戯を見せてくれなきゃ、インディ・ジョーンズとは言えないんじゃないですかね。
マンゴールドの采配だったのかもしれませんが、やっぱり全体にブラックユーモア・皮肉っぽさ、そういうものが足りませんでしたね。というか、そのあたりの塩梅はスピルバーグじゃなきゃできないってことなんでしょう。悪趣味を悪趣味と取らせない絶妙な匙加減。マンゴールドが下手なのではなく、スピルバーグが異常なだけ。でも、そんな異常
さに寄りかかっていたシリーズからそのエッセンスが損なわれるのは、致命的な欠陥の気がするんです。
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