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ザ・フラッシュのbackpackerのレビュー・感想・評価

ザ・フラッシュ(2023年製作の映画)
4.0
賛否両論あると耳にしましたが、私は最高に楽しみました。
間違いなく、DC映画の歴史に名を連ねる傑作ですが、惜しむらくは、数多のゴタゴタが影響し公開が遅くなったことでしょう。もし、本作がMCUのマルチバース攻勢よりも早く公開されていたのなら、MCUサイドの製作チームにとって超えねばならない高い壁となり、マルチバースサーガの在り方にも影響を与える可能性が大だったのでは?と想像してしまいます。
残念ながら、既に巷で「マルチバース疲れ」が囁かれて暫くたちます(かく言う自分もマルチバースに飽きてます)。それも遠因となったのか、興行成續は大成功とは言い難い結果になってしまったとのこと。間が悪かったですね。DCが積み重ねた映像化の歴史との相乗効果で、最高峰のブロックバスター娯楽大作に仕上がっているのに、その魅力が万人に広く伝わらなかった印象です。

【ヒーローの本懐は、人命教助活動にあり】
近年のMCUとDCEUのスーパーヒーロー映面では、ヒーローの人命(又は動物)教助シーンが重要視されなくなっています。正直『マン・オブ・スティール』では、それが作劇上の問題にすらなっていました。
しかし本作は、冒頭に大迫力かつ過去にないスーパー人命教助シーンを配置したことで、改めて、大衆がスーパーヒーローを求める根源的理由である”教済”の姿を正面から堂々と見ることができました。この導入部あってこそ、フラッシュというヒーローの在り方が示され、対比的にその後展開するバリー・アレン青年の苦悩・葛藤・後悔に対する感情移入がし易くなる、非常に素晴らしいものでした。人々を助けるために信念をもって戦い続けるヒーローの高潔さは、人命教助シーンがあってこそ立ち上がってくるのではないでしょうか。
ヒーローではなく一人の人間として抱える苦悩・葛藤・後悔の影を色濃くするうえでも、ヒーローの栄光=人命救助は欠かせません。

バットマンやスーパーマンのように、過去幾度となく映画となって語られてきたアドバンテージの少ないフラッシュには、観客に彼のキャラクターを見せる余白があり、"フラッシュ=バリー・アレンは何者か”を提示するためにも、最初の掴みが重要です。本作の冒頭は出色の仕上がりで、フラッシュというスーパーヒーローの名刺代わりにする上では、完璧と言ってもいい素晴らしいものでした。やっぱりこうでなくちゃね、アメコミヒーローって。

【祝!バットマン再演!お帰りなさい、マイケル・キートン】
本作の情報が出始めたかねてより、「マイケル・キートン(以下「キートン」) がバットマンを再演する」とのサプライズが話題となっていました。
私が初めて見たバットマンは、ティム・バートン監督の『バットマンリターンズ」(今となっては「なんでリターンズから?」と思いますが、小学生の自分には気になりませんでした)だったこともあり、トレーラ一映像でキートンが登場したときは興奮しましたね。
幼少期の「リターンズの続きが見たい願望」もこれにて成仏し、期待以上に心動かされました。

キートン演じるブルース・ウェインのカムバックが素晴らしかったのは、"大富豪ブルース・ウェインのイカれた人間性とユーモアの連関"が一番似合うキャスティングであると、改めて認識できたことです。
ロバート・パティンソンの演じたバットマンが、ユーモア皆無の暗黒面バットマンの極北とすれば、ベン・アフレック(以下「ベンアフ」)、クリスチャン・ベール、ヴァル・キルマーが暗い寄りの保守派。ジョージ・クルーニーが一番陽性強めの異色。で、一番中道を行くバランス感覚に優れているのが、キートン演じるバットマンだったという印象。
大金持ちの道楽者というブルース・ウェインと、狂気を内包したバットマンが、老いさらばえて達観し活力も失せたと思いきや、賢人と武闘派の両面を確かに宿し続け、遂に復活する....。まさしく『ダークナイトリターンズ』風を感じるものでした。(ビジュアル的にはベンアフ版の壮年バットマンが『ダークナイト リターンズ』っぽいと思うのですが、「リアルに老けたバットマン」と認識するのはキートンです。)
アルフレッド亡き後、案の定生活力の無い世捨て人ジジイになってたのが笑えたり、相変わらず首の可動域ゼロなバットスーツ着てたり、老体に鞭打ってステゴロバトルした挙句自分で傷口縫ってニタニタしたり……と、「これぞバットマン」を存分に味わえました。満点。
本作のバットマン (ベンアフとキートンの両者ともに)のポジションも実に素晴らしいもので、自身と似た境遇に置かれたバリー・アレンのメンターであり、彼を導く老賢者ポジションとして、陰日向なく支えます。
時に金言を携え、時には旅路の付き添いに足を出し、時に文字通り盾となり、そして時には命を対価に教え導く。師匠と弟子の関係性こそ、本作の最大の魅力の一つと断言できます。
二人のバリーがウェイン邸を訪ねるシーンも最高でしたね。ティム・バートン版『バットマン』で最高のインパクトを植え付けた、書広間の癖の強さったらないです。相変わらず趣味のの悪い部屋でした。

【マルチバースは"どこまで“捕捉するのか】
キートン再演のバットマン以外にも、本作には数多くのサプライズが散りばめられていました。
クリストファー・リーヴのスーパーマン登場は全く予期していなかったので、ちょっと感動しちゃって泣きそうになりました。リーヴのスーパーマンとの共演計画が頓挫したヘレン・スレイターのスーパーガールも、ここにきて同じ世界観の住人として登場。にくい演出だねぇ。
もうーつのビッグサプライズ、あの幻のニコラス・ケイジ(以下「ニコケイ」) 版スーパーマンが、巨大蜘蛛とのバトルを引っ提げ、大スクリーンに映し出されたのは、マジでぶったまげました。
ティム・バートンとニコラス・ケイジが組んで作られる予定だったこのスーパーマンは、ニコケイの衣装試着のスチル写真がネット上に出回り、ミームとして笑いの種にされていましたが、四半世紀の時を経て遂にスクリーンに登場する日がやってきたのです。感涙。
(ニコケイがネットミームで玩具にされ過ぎ問題については、愛されている裏返しとしてここでは割愛。)
彼らの夢の大集合シーンは、クロノボウルという特殊環境下での惑星直列的奇跡であり、一堂に会して激戦を繰り広げたりはしません。MCU的ノリでと異なり、顔見せに留まりました。これに物足りなさを覚えた方もいるだろうこと想像できますが、カ業で解決するのが本作の趣旨ではなく、”頭で考え最適解を選び取る勇気”を描くうえでの、ある種のエッセンスだったと思います。ちょこっと登場するだけにもかかわらず、目頭が熱くなったお仲間も、結構いたんじゃないですかね。
その反面、このシーンが明けた扉のインパクトはかなりのもの。特に、ニコケイスーパーマンを登場させたことの意味は大きいと思います。

一昔前は、マルチバース映画と言えば『ザ・ワン』だったのに(え?違う?)、今や百花繚乱の時代に。この概念の一般化は、コミック映像化の僥倖と言って差し支えないでしょう。
原作コミックスにて徒らに増やしてしまった分派作品や、収抬つかずにオールリセット→暫くしてまた混乱→リセットの流れを幾度となく繰り返してきた世界線。同様に、何度もリメイクされていく映画・ドラマたち。
従前は一部のマニアや熱心に追いかけているファンしか把握できていなかった数々の作品世界を、IF世界・別世界戦・なかったこととして分けて扱わずとも、「今見てる世界とは別の世界として、並列で存在してるんだよ〜。少しだけ見せてあげるね〜」と、包括的に扱っても問題ないという免罪符になったからです。
(パラレルワールドの概念とは異なるマルチバースについて、正直今だに理解しきれていませんが、マルチバースのことはよくわかっていませんからね。棚上げ。)

さて、本作のマルチバース概念で画期的だった、「企画がポシャりフッテージがない」ニコケイスーパーマンを「その世界戦もマルチバースの中には存在する」としてぶち込んできた件。
企画倒れ・お蔵入り・ボツネタ、提案されたが生み出されなかった作品たちまで取り入れられるなんて、際限なくなんでもありになりかねず、タブーとばかり思い込んでいましたが、そんな固定観念を打ち砕いた本作の挑戦は讃えたい。といっても、こういったネタ案件の数は決して多くないため、同じようなことを連発はできません。今後可能性があるならば、同じくお蔵入りとなった『バットガール』が将来仲間入りするくらいですかね。ジェームズ・ガンの指針次第なので、なんもわかりませんが。
一方で、この種の案件をマルチバース入りで供養させるのは、ファン心理としては嬉しいですが、背景知識の無いご新規さんにとっては、意味不明の謎演出になってしまいますよね。イースターエッグやトリビア的なサプライズと独自ジャンルのお作法は、ご新規さんに対する参入障壁にしかなりません。いまや一言さんお断りの代表格となったMCUと同じで、長期化し過ぎたシリーズものや、一大ジャンルとして肥大化した作品の抱えるToo Big To Fail問題に対して、オールリセットの荒業以外の方法で打開してほしいと切に願います。


【「バック・トゥー・ザ・フューチャー』がなんぼのもんじゃい!時を駆ける青年のタイムトラベル大作戦】
マルチバースがどうのこうのと書きましたが、物語の幹となるのは、実は古典的なタイムトラベル。
特に意識されているのは、劇中度々明言された『バック・トゥー・ザ・フューチャー』(以下「BTTF」)の王道スタイル。いくつかの要素が混ざる作品ではありますが、本作のログラインを簡単に抜き出すと「タイムトラベラーの青年が過去を変えたら予想外の未来になってしまったので、本来の世界を取り戻すべく奮闘する」ですので、完全に王道タイムトラベル映画の流儀でしたね。BTTFの連呼は「マルチバース映画じゃなくて、タイムトラベル映画だよ」という観客への意識付けの側面もあったのでしょう。
本作のタイムトラベルにて生じた過去・未来改変の原理原則は、キートンのブルース・ウェインがパスタを使って説明していました。このときサラッとマルチバース概念を盛り込みつつ、因縁のトマト缶を小道具として豪快に使ってくるところがたまらんですね。それを腹ペコのままかっ食らうというのも、皮肉が効いています。

閑話休題

私はSFに造詣が深いわけではありませんので、今回のタイムトラベルがもたらした影響の整合性はわかりません。ですが、難しい理論武装ではなく、大作エンタメ映画としての視覚的なわかりやすさですんなり飲み込める設定導入説明だった時点で、十分よかったと思います。若干違和感を抱きつつも、異議申し立てに血道をあげる程でもない、娯楽作品としてのちょうどいいバランスでした。

タイムトラベルの手段が“時を駆ける"ってところも、巨費を投じたハリウッド大作では滅多に見ないものでしたし、その際生じるクロノボウルの映像表現や、走りが逆回転になっている演出あたりは、非常にユニークで面白かったですね。クロノボウル内の時空連続体が、わざと微妙なクオリティのCGになっているところも実に斬新。
本作のタイムトラベルに関わる設定・表現・演出に対しては、概ねニコニコ、一部不満といった感じです。
「細けーことはいーんだよ」精神で、マルッと受け止めましょう。


【二人のバリーと一つの決断。通過儀礼(カノンイベント)の役割】
DCEU過去作にて既出のヒーロー・フラッシュの初単体映画は、ヒーローのオリジンという"カノンイベント”を改めて語るために「過去にタイムトラベルする」という、ユニークな手法をとりました。さらに、愛別離苦の物語をベースに、挫折・諦念・後悔・別離も盛り込んで、ヒーローの普遍的成長調も見せたことで、過去と現在を一体とし、お涙頂戴な感動を湿っぽくなり過ぎない程度にバランスよくまとめ、「フラッシュのキャラクターはこうだ」とわかりやすく示す、出色の作品となっていたと思います。

ここでは、DCEUのタイムラインを生きてきたパリーを兄、本作の過去改変で分岐した若いバリーを弟とし、彼らの辿ったカノンイベントについて、改めて考えてみたいと思います(カノンイベントの概念は、同時期公開となった『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーパース』(以下「SATS」)から拝借しています)。
兄は、母の死と父の誤認逮捕という不幸な経験が人格形成に影響し、他者教済の心を持つスーパーヒーロー=フラッシュとなりました。両親を殺害され犯罪者に鉄槌を下すピジランテとなったブルース・ウェイン=バットマンと酷似したルーツこそ、フラッシュとバットマンの師弟・兄弟・友人といった関係性が色濃く映し出される理由です
また、クライマックスでフラッシュの出した結論が、ブルース・ウェイン(ベンアフの方)の言葉に帰結したことからも、彼らの関係性の重要さがわかります。
弟は兄と異なり、フラッシュ誕生の遠因となる不幸を経験していません。兄の神経を逆なですることもしばしば(それが兄にとって望んでも手に入らないことのため、嫉妬・羨望・憧憬の重さはいかばかりか……)。土台となる精神性が醸成されていない弟は、スーパーパワ一への向き合い方・経験値・覚悟といった差が、無鉄砲で純粋な正義感と頑なな理想論に反映された結果は待ち受けていたのは無間地獄.......。
カノンイベント経験済の兄とは異なる出自でフラッシュとなった弟。ヒーローをヒーローたらしめるものが何かという問いかけに対し、一人前のヒーローになるには、通過儀礼(カノンイベント)が必要という回答を描きます。
これは、神話的物語構造という実に普遍的な切り口。本作で兄は、過去に経験した通過儀礼をなかったことにしたいと目論みましたが、世界への大きすぎる影響に屈服します。妥協と諦念で我を通さなかったような結末には、希望ある挑戦を志向したSATSと比べると、いささか後ろ向きにも見えますが、本作でのカノンイベントへの向き合い方は、人の身に過ぎたる力への戒めや、理性と自制心の貴さを直球で見せたものであって、決してマイナスな終わり方ではなかったと考えています。イニシエーションへの反発と容認。アメコミヒーローのアイデンティティ構築のためカノンイベントが、その意味を問われつつあります。

【さらばDCEU、こんにちはDCU
惜しまれるのは、本作の属したDCEUの看板がすげ代わり、これまでの蓄積が一新されると思われることでしょうか。
DCEUは、言い換えればザック・スナイダーズ・DCユニバースでした。ザックの生み出すダークでシリアスでコミックライクな画作りの世界観は、個人的には結構好きだったのですが、世間的にはウケが悪かったご様子。紆余曲折の果てに世に放たれた『ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーズ・カット』の顚末を思えば、世間の人気というよりも、ワーナー側の間題とも思えますが、全体的に長い・暗い・展開が鈍重という3要素を抱えていた作品が多かったので、問題山積で自滅したと言った方がいいんですかね。
ですが、DCEUのベースとなった暗〜いザック作品達は、バットマンの抱えるダークな一面を際立たせたノーランのダークナイト三部作の影響下にもあったわけですし、陽性のヒーロー映画ばかりがヒーロー映画ではなく、ダークなものが見たいと思っていた層には歓迎される代物でしたので、一概に失敗とは言えないと思います。特大ヒットを飛ばしたサム・ライミ版スパイダーマン三部作だって、結構暗い作風だったことを思えば、暗いから受け入れられなかったわけではないはず。


そんなDCEUにおいて、フラッシュがどのような立ち位置となりえたのか。その先を知りたくなってしまった身としては、DCEUの終焉が残念でなりません。エズラ・ミラーの問題行動の件もあって、彼のフラッシュ再演は危ぶまれていますが、難しい演技を一人二役でこなしたエズラ・ミラーの芸達者ぶりには感服しましたし、DCUになってからも、エズラ・ミラー演じるフラッシュを見られたらいいですね。
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