クシーくん

原子怪獣現わるのクシーくんのレビュー・感想・評価

原子怪獣現わる(1953年製作の映画)
3.4
ブラッドベリの名短編「霧笛」の実写化ということだが、殆どそれらしき要素が見当たらない。
類似点があることから訴訟を避けて、同名かつ旧友のレイ・ハリーハウゼンが原作として許可を取ったのだという説をネットで見たが、恐らく当たらずとも遠からずという所だろう。

東宝が公認した事はないらしいが、本作の一年後に制作・公開されたゴジラの元ネタ作品としても知られる。実際に観ると、想像以上に「原子怪獣」からのインスパイアが多いことに驚かされる。
大まかなプロットは殆どゴジラと変わりがない。高圧線で怪獣を牽制する、怪獣に精通する老博士、恋愛エピソードの挿入等々。消息通によればゴジラの企画初期原案ではタイトルも怪獣の名前も殆ど本作そのままらしい。

そのためどうしてもゴジラと比較してしまう。最大の違いは怪獣に対する扱い方だろうか。ゴジラは大東京を灰燼に帰す恐るべき怪獣として描かれる反面、原水爆という人間の身勝手な行為の犠牲者でもある。東京を暴れ回るシーンでは嫌でも空襲を想起し、その背後には戦火に潰えた死者の面影が浮かぶ。
一方のリドザウルスはそうした悲壮さを抱えていない。人々が怪獣を憎みながらも、どこかその姿に共感を覚えるような余地がなく、退治すべき中世のドラゴンの如き悪の野獣である。そこには微塵の同情もない。これはつまり戦争の勝者か敗者か、自分たちの住む街を焼き尽くされて住処を追われたか否かという経験の違いだろう。ニューヨーク襲撃後、電報を打つ女性やニュースキャスターが市民を安全な場所に避難させ、厳戒態勢を敷いたと発表するシーンがある。時ならぬ怪獣の襲来にパニック状態に陥った表現であり、同時にいかなる緊急事態にも即座に対応出来る強さにも見える。強がりともいえるが、事実余裕が感じられる。ゴジラがやってきた後、焼け野原と家族を失い泣き暮れる人々を映したのとは対称的だ。善し悪しを比較すべきではないが、日本人の私としてはどうしても模倣作である方のゴジラに軍配を挙げたい。

さはさりながら、決して本作がつまらない訳ではない。潜水艦という名の鉄塊に乗って海底探索を行うくだりは潜航前のロングショットも含めて迫力がある。海底でわざわざ大ダコと鮫の対決シーンを入れたのは、キングコングを意識しているのだろうか。実際の映像を恐らくそのまま使っているだけにリアル感満載。

しかし何と言ってもリドザウルスの動きが良い。師匠のオブライエンによるキングコングはぬるぬる動くとは言え、流石にコマ撮り感が目立ったがウォール街を闊歩するリドザウルスは作り物ながらなかなか精緻な動きを見せる。ニューヨークを襲撃する際の人々のパニック描写も真に迫っている。怪獣映画のエポックメイキングとしてのみならず、単体で十分良作だ。
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