銀色のファクシミリ

彼方のうたの銀色のファクシミリのレビュー・感想・評価

彼方のうた(2023年製作の映画)
3.8
『#彼方のうた』(2024/日)
劇場にて。結論から書いてしまうと、杉田協士監督作品の入門編的な作品だと感じられた。理由はふたつあり、そのひとつめから。杉田監督作品は人物や状況の説明が少なく、主人公を中心とした日常をただ映していく。何を目的として場面が描かれているのかも語られない。

少し例えると、サイコロの1の面を正面からだけ見ていれば、それは白い四角のまんなかに赤い丸の絵でしかない。でも斜めから見られれば立体のサイコロだとわかる。杉田監督作品も、観ていて気づきが得られると、物語が一気に立ちあがり数々の場面での人々の言動の意味や意図に気づけるようになっている。

この気づきと物語をふりかえったときの味わいが、杉田監督作品の静かな物語が起こす無音のカタルシスであり鑑賞の醍醐味。そしてこの『彼方のうた』が入門編と書いた理由ひとつめは、気づきのためのヒント、気づきの最初があらすじに書いてあるから。

でも、ここで未見の方があらすじを先に読むと損。観ていて気づく、観た後に気づくから味えるのが醍醐味。気づきの視点を先に得て観れば「サイコロだね」だから。杉田協士監督の作品は、せいぜい予告編くらいの情報で観るのが吉。

理由のふたつ目。気づきを得ると見方が変わるけど、物語内で答えが明確に語られないので、あらすじからの気づき自体も「正解」ではなく「ほぼ正解」くらいのもの。この「ほぼ」という揺らぎ、云い換えれば「空白」も杉田監督作品の魅力。

たとえば「悲しみで寝込んでいる人」がいて、その理由を「愛犬が行方不明だから」と説明された場合、観客の共感度合いはそれぞれ。全員違うと云ってもいい。しかし「この人に近い誰かが行方不明だから」くらいしか推量できない場合、「深く悲しむくらいだから〇〇なんじゃないか」と、観客は「空白」を想像し埋めることになる。自分の答えが「正解」になる。

入門編とした理由ふたつめは、春さんが出会う雪子さんと剛さんの描かれていない空白を、春さんの「ほぼ正解」から自分なりの正解を出す楽しみがあるから。自分の正解は自分の答えでいい。鑑賞後に空白を埋めるのも楽しい。これも杉田協士監督作品の魅力。

物語自体の感想も一言だけ書けば、歩道で身動ぎしない場面が春さんのむき出しで、最後の春さんの表情が少しだけ彼女が救われた証拠なのだと思いますよ。感想オシマイ。